「鳥越裕介」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

鳥越裕介 - (2012/03/05 (月) 10:41:54) の編集履歴(バックアップ)


鳥越裕介

背番号88 1軍内野守備走塁コーチ

呼び名はゴエ、パルプンテなど。
臼杵高 - 明治大を経由し1994年中日ドラゴンズにドラフト2巡目で入団。
1997年には遊撃手というポジションで守備率'997というプロ野球記録を残した。
1999年にトレードでダイエーへ。
2006年に引退し、翌年から二軍の守備走塁コーチ→2009年から二軍監督→2011年からは一軍守備走塁コーチと、なんだか出世街道である。


選手時代

恵まれた体格から繰り出される残念な打撃、名手と称される軽やかな守備を行う選手。応援団から「働け働け」とコールされることも。
中日からのトレードの際、当時中日の監督だった星野仙一が「鳥越はそちらの2軍の選手より打てませんよ」と王さんに前もって言っていた。
2003年ダイハード打線と称された時でも、チーム打率2割9分7厘というおかしなことやっとるチーム内において打率が2割1分2厘しかなく、他球団から「癒し」と言われたりもした。

が、呼び名の“パルプンテ”という、ドラクエに出てくる「何がおこるかわからない不思議な呪文」と同様に「鳥越が打つと不思議なことが起きる」とされた。
チーム5連敗で優勝脱落の危機の試合で逆転HRを放ち、チームはその後9連勝→優勝。
打点を上げた試合は負けないと言われるように。2003年日本シリーズでは阪神からほぼ無警戒だったのを逆手に取る大活躍。連日「ラッキーボーイ」と称された。
ゴエデータ2003年(264打数56安打25打点1本塁打 .212)
鳥越が出た試合        70勝42敗3分  勝率 .625
鳥越が出てない試合      12勝13敗  .  勝率 480
鳥越がヒットを打った試合  33勝7敗1分   勝率 .825
鳥越が2安打以上の試合   9勝2敗    . 勝率 .818
鳥越が長打を打った試合   5勝1敗  .   勝率 .833
鳥越が打点を挙げた試合   15勝2敗1分  勝率 .882

ポストシーズンにめっぽう強く、プレーオフでもチームが風物詩化する中、最終回の場面で同点の引き金となるツーベースを放つなど気を吐いた。
2003年の東西対抗戦では、サヨナラHRを放ちヒロインに!ベンチや観客、実況アナにいたるまで大爆笑させる。

しゃべりが上手いのが特徴でお立ち台でも軽妙なトークを披露するなど人気があった。
2005年8月31日には3打点を上げる活躍でヒーローに。王さんはこの日の活躍に当時「万馬券を当てたよう」とコメント。この試合が実質選手としては最後のお立ち台となった。
  • (今日の活躍に触れられて)「まぐれです」
  • (前打者ホルベルト・カブレラが敬遠されたことを聞かれて)「敬遠は当然です」
  • (同年代の宮地の活躍に触れられて)「まあ、社長(宮地選手)はよく頑張っていると思います。負けないように頑張りたいんですけど、打率がまだ6分くらい差があるんで、何とかつめて宮地も首位打者取れるように頑張って欲しいです」
  • (夏休み最後の試合、野球少年、野球少女たちに最後に一言)「たまにしか試合に出なくても練習してれば結果は出ると思います。腐ることなく、野球少年みんな日々の練習を一生懸命やって下さい。今日はありがとうございました」

  • ムードメーカーで誰とでもすぐに打ち解け、藤井将雄の棺を本人曰く「俺は外様なのに」チームメイトと運んだことも。
  • 外国人選手とも仲が良く、ペドロ・バルデスが戦力外通告を受け、帰国する際には空港まで行きただ一人見送った。バルデスはそんな鳥越の気持ちに打たれて泣いたという。
  • やはり昔在籍したトニー・バティスタがお立ち台でよく口にする「チョーゴキゲン!」は、鳥越が吹き込んだ説が有力視されていたが、違うとのことである。
  • 若手の台頭を受け、王さんから直々に戦力外通告→コーチ就任の連絡が入る。「知らない番号からかかってきたと思ったら王さんだった」とのこと。コーチ番号は当時二軍監督をしていた秋山幸二の「71」に。1971年の7月1日生まれ、当時の部屋番号も701ということで嬉しかったらしく、引退会見もこの喜びに触れたさっぱりしたもので、記者陣を笑わせた。


選手時代以降〜現在


  • しばらくコーチをしていたものの、2009年には30代という若い2軍監督に。
  • 途中、コーチになることに対し、背中を押してくれた最愛の夫人を乳ガンで亡くす。
  • 福ちゃん今宮辺りは特にコーチ時代から指導している。正しく、わしが育てたならぬ鳥が育てた状態で、川﨑からも尊敬されている。ちなみに、鳥越による福田評は「首から下は完璧」
  • 2011年には、試合後に福ちゃんをハリーホークに向かって挨拶させ、その様子を見て爆笑していた。
  • 2011年、日本シリーズに向けてのチーム内紅白戦において、控え選手で結成された紅チームにて、野手不足のため3塁手として引退後まさかのスタメン。未放送だったものの広報によると内川の打球を無難にさばいたとのこと。打席はなかったがたかせん民「現役復活あるで!」「代打は監督だな」と大盛り上がり。しかも試合は、この試合右翼手だった山崎の好捕もありまさかの紅組勝利という、パルプンテな試合に。
  • 2012年春のセンバツに、元ホークスの大越基監督率いる早鞆(山口)が初出場を決めたことに対し、「これで願掛けしていたヒゲが剃れます(笑)」と相変わらずの喋りで祝福する。なお、大越が監督をつとめることになった際「選手は監督の顔を見ている。お前が変わらないと何も変わらんぞ」という鳥越の言葉が胸をついたと大越自身は語っている。
  • 監督の変わらなすぎる体型がおかしいのだが、最近徐々に太ってきている気配がある。
  • 2006年に引退した際はきちんとお別れの場を設けてもらえず、数年後に村松が引退する時には引退試合を開いてもらえるよう、球団に掛けあったこともある。2012年3月4日、柴原引退によるメモリアルバッターボックスでは、内野陣形があえてダイエー時代のものとなり、「ショートストップ・鳥越裕介」として6年ぶりにショートの守備に!コールされると大歓声が球場内に起こった。球団公式Twitterによるとセレモニー終了後に「今日は、鳥越裕介の裏引退セレモニーなんやで」と言ったとのこと。
    • 飯島球団スタッフTwitterによると、元ホークスの井口がセカンドにつくという計らいは、鳥越が話をつけて実現したらしい。