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川原弘之 - (2012/12/26 (水) 19:45:15) のソース

川原弘之

背番号26 投手 左投左打

-福岡大付属大濠高から2009年ドラフト2位で入団した&bold(){ロマン左腕}。
--獅子・大石は高校の先輩に当たり、様子を見に来てくれることもあったらしい。ちなみに川原兄と大石は高校時代にバッテリーを組んでいた。
-入団当初は球速が140km/h前後だったが、[[クララ>倉野信次]]の&bold(){魔改造という名の体づくり}により、一年目から150km/h台を連発できる投手へ。クララマジ優秀。
-文句なしの速球を投げるが問題はキレよという、[[どこかで聞いたことのある>小椋真介]]特徴を持ち、ドラフト前にもずばり&bold(){「小椋2世」}という、たかせん民を大変不安視される言葉が使われていた。一刻も早い課題克服が熱望される。
-そのロマン力により、下記のように様々な人材からアドバイスを貰っている。


-2011年フレッシュオールスターウエスタンリーグ代表に、故障の[[下沖>下沖勇樹]]の代役として登板。初球から&bold(){152km/h}など150km/h台を連発し場内騒然。実況解説席も声を上げる。その後公式記録に残らないながらも、元燕の石井弘寿が2002年に記録した&bold(){日本人左腕最速155km/h}をマークした。そのため、この日の伏兵として全国区版の野球ニュースデビュー!
-2011年オフには球団の期待を受けて、[[ムヨン>金無英]]、[[ギータ>柳田悠岐]]、引率役の[[クララ>倉野信次]]と一緒に海外武者修行へ派遣される。出先でカットボールとツーシームを取得。
--修業先ではMLBの名捕手イバン・ロドリゲスとバッテリーを組む機会があり、「ストレートがよければコントロールはだいたいでも打者は振ってくれる」と太鼓判を押されている。
-2012年春季キャンプ中には解説者・工藤公康の目に留まりカーブやアドバイスを伝授されることも。迎えたオープン戦初日に先発を任されるも、カープの東出に頭部死球を与え、[[ばっさん>大場翔太]](6球退場)を上回る&bold(){4球で危険球退場}をやらかしてしまう。
-2012年5月20日の巨人戦、ビハインドの場面でプロ初登板。「川原は出てくると思う」と春先に語っていた王会長の見守る中、1回をピシャリと抑える。ちなみにその登板時には、Yahoo!テキスト速報で&bold(){「ブライテスト・ホープ」}という二つ名を付けられている。
-2012年オフに台湾リーグへ武者修行へ。ロマンに魅せられてか、石井弘寿からスライダーを伝授される。



**エピソード

-武者修業先では肉ばかりの慣れない食事に他メンバーが悲鳴を挙げる中、&bold(){「僕は肉があれば大丈夫です!」}と発言。最終日の夕食もハンバーガーを頼み、メンバーを唖然とさせた。意外と大物かもしれない。そういえば、前の背番号主はムードメイカーであった的場である。
-ウインターリーグでMLB名捕手イバン・ロドリゲスと組むことになるも、川原自身はその凄さを知らず、「羨ましすぎるぜーっ!」と動向を見守っていた[[倉野コーチ>倉野信次]]にすかさず「インターネットで今すぐ調べてこーいっ!」と指示される。
-[[リハビリコーチ>斉藤和巳]]には「アバター」と呼ばれているもよう。