川原弘之

背番号122 投手 左投左打

  • 福岡大付属大濠高から2009年ドラフト2位指名を受け入団したロマン左腕。入団時の背番号は「26」。
    • 獅子・大石は高校の先輩に当たり、様子を見に来てくれることもあったらしい。ちなみに川原兄と大石は高校時代にバッテリーを組んでいた。
  • 入団当初は球速が140km/h前後だったが、クララ魔改造という名の体づくりにより、一年目から150km/h台を連発できる投手へ。自身の最速は2012年に記録した158km/h。クララマジ優秀。
  • 文句なしの速球を投げるが問題はキレよという、どこかで聞いたことのある特徴を持ち、ドラフト前にもずばり「小椋2世」という、たかせん民を大変不安にさせる言葉が使われていた。一刻も早い課題克服が熱望される。
  • そのロマン力により、下記のように様々な人材からアドバイスを貰っている。


  • 2011年フレッシュオールスターウエスタンリーグ代表に、故障の下沖の代役として登板。初球から152km/hなど150km/h台を連発し場内騒然。実況解説席も声を上げる。その後公式記録に残らないながらも、元燕の石井弘寿が2002年に記録した日本人左腕最速155km/hをマークした。そのため、この日の伏兵として全国区版の野球ニュースデビュー!
  • 2011年オフには球団の期待を受けて、ムヨンギータ、引率役のクララと一緒に海外武者修行へ派遣される。出先でカットボールとツーシームを取得。
    • 修業先ではMLBの名捕手イバン・ロドリゲスとバッテリーを組む機会があり、「ストレートがよければコントロールはだいたいでも打者は振ってくれる」と太鼓判を押されている。
  • 2012年春季キャンプ中には解説者・工藤公康の目に留まりカーブやアドバイスを伝授されることも。迎えたオープン戦初日に先発を任されるも、カープの東出に頭部死球を与え、ばっさん(6球退場)を上回る4球で危険球退場をやらかしてしまう。
  • 2012年5月20日の巨人戦、ビハインドの場面でプロ初登板。「川原は出てくると思う」と春先に語っていた王会長の見守る中、1回をピシャリと抑える。ちなみにその登板時には、Yahoo!テキスト速報で「ブライテスト・ホープ」という二つ名を付けられている。2登板で一軍登録を抹消されるも、7月28日のファーム戦では日本人左腕最速となる158km/hを記録した。この年のオフには台湾リーグに武者修行へ。ロマンに魅せられてか、ロケットボーイズとして名を馳せた石井弘寿からスライダーを伝授される。2013年から五十嵐が加入したこともあり、鷹のロケットボーイズが見られる日も近、い…?と思われたが、その姿が拝めないまま2015年10月に戦力外通告を受けた。
  • その後は育成契約の噂が流れるも、手術が絡んだためかなかなか球団発表がなかったが、12月17日に育成契約締結が発表された。チャンスだと思って頑張ってほしいところ。新背番号は「122」。



エピソード


  • 男四人兄弟の次男坊。
  • 武者修業先では肉ばかりの慣れない食事に他メンバーが悲鳴を挙げる中、「僕は肉があれば大丈夫です!」と発言。最終日の夕食もハンバーガーを頼み、メンバーを唖然とさせた。意外と大物かもしれない。そういえば、前の背番号主はムードメイカーであった的場である。
  • ウインターリーグでMLB名捕手イバン・ロドリゲスと組むことになるも、川原自身はその凄さを知らず、「羨ましすぎるぜーっ!」と動向を見守っていた倉野コーチにすかさず「インターネットで今すぐ調べてこーいっ!」と指示される。
  • 和巳には「アバター」と呼ばれているもよう。