「陽耀勲」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

陽耀勲 - (2013/02/06 (水) 20:59:41) のソース

陽耀勲

背番号91 投手 左投左打 

-名前の読みは「ヤン・ヤオシュン」。たかせんでは「陽」や「陽兄」と呼ばれる。呼び名の通り、ハムに所属する陽岱鋼のおにいちゃん。弟の読みは「ヨウ・ダイカン」。
--兄弟同士も似ているが、元チームメイトの[[森本学]]もまた「似ている」としばしば間違われていたようだ。
-台湾出身で、兄弟は陽岱鋼の他にもたくさん。アスリート一家である。
-2006年にホークスに入団。力のあるストレートが魅力の投手だが、四死球で自滅するパターンも多いという、[[どこかで聞いたような>新垣渚]]タイプ。行けるやん!と思った次の回に連打を浴びることが多い。おお、もう…。

-2010年は先発投手として計算できるピッチャーが[[和田>和田毅]]・[[杉内>杉内俊哉]]のみというチーム事情もあって、自己最多の14試合に登板。7月14日には檻戦で初勝利を挙げる。打ちこまれはしたが、同年こっそりCSにも先発として出場していた。うん?その時の結果?
-2010年9月7日には、本拠地ヤフドでプロ2勝目をあげヒロインを受ける。ヒーローインタビューでファンへの日本語のメッセージを求められ、赤井通訳と相談して言った言葉が&bold(){「台風なんで、帰る時は気をつけて!」}。確かに台風接近していたのだが、その唐突さに住民の驚愕と爆笑を買った。
-学生時代は投手兼外野手として出ていたそうで、その打撃センスは確か。2011年8月31日の2軍戦では、DHスタメンで死球を受けた[[柴原>柴原洋]]の代走で出て、檻の桑原から&bold(){スコアボード直撃の第1号HR}を放った。打者転向あるで!
-更に、9月10日は3軍の選手不足のためDH出場し4打数2安打。
-翌日は特別ルールのもと&bold(){「指投指(DHと投手の兼任)」}に。&bold(){8番DHでスタメン出場→8回に投手として登板し3者凡退ピッチング→9回には「DHに戻ります」というアナウンスで再びDHという超活躍}を見せた。お疲れ様です。ちなみにこの日のホークスは、ブルペン捕手の加藤領健が急遽キャッチャーとして出場する場面も。

-2012年8月8日、ついに弟の陽岱鋼との兄弟対決が実現!が、お兄ちゃんの威厳は見せられずヒットを許し(ただし後続は断ち切る)、初対決は弟に軍配が上がった。
-同年8月17日には今季初先発。前日リリーフ陣をほぼ使い切ってしまったため、そこそこは粘ってほしいと住民が思う中、 &bold(){無四球完封10奪三振} をやってのけ、全住民を驚愕させた。完投・完封は来日初。ヒロインでは&bold(){「ありがとごじゃりました!」}に始まり、照れながら「ウフフフフ」と笑うなどして住民をなごなごさせる。
-9月1日には先発として弟と再戦。台湾から来た両親(父:ハムユニ、母:鷹の祭典ユニ)が見守る中、途中出血をしながらも三振三振よんたまと兄弟対決リベンジ成功!ただし試合は後続がry
-CSのFSにも二年ぶりに先発登板。一発を浴びるも6回まで被安打3よんたま0と物凄く頑張り成長を見せた。

-弟・陽岱鋼と共に、2013年WBCの台湾代表に選出される。2013年春季キャンプ間際になって球団との交渉が難航(※後述参照)するが、一年契約が結ばれる。



**陽兄キャンプボイコット事件

-事の発端は、2013年春季キャンプ直前に、メジャー挑戦に関する契約上のトラブルが発生(球団編成部長曰く、「向こうの問題でうちは関わりのないこと」)。陽兄側が敏腕の代理人をつけ対抗し、キャンプをボイコットしたことから。結果的に「今季他球団に移籍しないなら、来季にメジャー挑戦してもいい」という条件と、契約金3500万+出来高で契約した。陽は“よう”わからんにゃ〜(by監督)。
-ちなみに、このキャンプで陽はA組スタート予定だったが、上記理由によりB組へ。代わりに[[ばっさん>大場翔太]]が&bold(){実質棚ボタ}でA組スタートとなった。



**エピソード

-メジャー志向である。
-初ヒロインではガムクチャ状態だったため、印象が良くないと指導されたもよう。
-陽岱鋼曰く、「打撃センスは自分より兄の方がある」とのこと。