陽耀勲
背番号91 投手 左投左打
- 名前の読みは「ヤン・ヤオシュン」。たかせんでは「陽」や「陽兄」と呼ばれる。呼び名の通り、ハムに所属する陽岱鋼のおにいちゃん。弟の読みは「ヨウ・ダイカン」。
- 兄弟同士も似ているが、元チームメイトの森本学もまた「似ている」としばしば間違われていたようだ。
- 台湾出身で、兄弟は陽岱鋼の他にもたくさん。アスリート一家である。
- 2006年にホークスに入団。力のあるストレートが魅力の投手だが、四死球で自滅するパターンも多いという、どこかで聞いたようなタイプ。行けるやん!と思った次の回に連打を浴びることが多い。おお、もう…。
- 2010年は先発投手として計算できるピッチャーが和田・杉内のみというチーム事情もあって、自己最多の14試合に登板。7月14日には檻戦で初勝利を挙げる。打ちこまれはしたが、同年こっそりCSにも先発として出場していた。うん?その時の結果?
- 2010年9月7日には、本拠地ヤフドでプロ2勝目をあげヒロインを受ける。ヒーローインタビューでファンへの日本語のメッセージを求められ、赤井通訳と相談して言った言葉が「台風なんで、帰る時は気をつけて!」。確かに台風接近していたのだが、その唐突さに住民の驚愕と爆笑を買った。
- 学生時代は投手兼外野手として出ていたそうで、その打撃センスは確か。2011年8月31日の2軍戦では、DHスタメンで死球を受けた柴原の代走で出て、檻の桑原からスコアボード直撃の第1号HRを放った。打者転向あるで!
- 更に、9月10日は3軍の選手不足のためDH出場し4打数2安打。
- 翌日は特別ルールのもと「指投指(DHと投手の兼任)」に。8番DHでスタメン出場→8回に投手として登板し3者凡退ピッチング→9回には「DHに戻ります」というアナウンスで再びDHという超活躍を見せた。お疲れ様です。ちなみにこの日のホークスは、ブルペン捕手の加藤領健が急遽キャッチャーとして出場する場面も。
- 2012年8月8日、ついに弟の陽岱鋼との兄弟対決が実現!が、お兄ちゃんの威厳は見せられずヒットを許し(ただし後続は断ち切る)、初対決は弟に軍配が上がった。
- 同年8月17日には今季初先発。前日リリーフ陣をほぼ使い切ってしまったため、そこそこは粘ってほしいと住民が思う中、 無四球完封10奪三振 をやってのけ、全住民を驚愕させた。完投・完封は来日初。ヒロインでは「ありがとごじゃりました!」に始まり、照れながら「ウフフフフ」と笑うなどして住民をなごなごさせる。
- 9月1日には先発として弟と再戦。台湾から来た両親(父:ハムユニ、母:鷹の祭典ユニ)が見守る中、途中出血をしながらも三振三振よんたまと兄弟対決リベンジ成功!ただし試合は後続がry
- CSのFSにも二年ぶりに先発登板。一発を浴びるも6回まで被安打3よんたま0と物凄く頑張り成長を見せた。
- 弟・陽岱鋼と共に、2013年WBCの台湾代表に選出される。2013年春季キャンプ間際になって球団との交渉が難航(※後述参照)するが、一年契約が結ばれる。
- WBCで肩痛を発症したのもあって開幕はリハビリ組と出遅れていたが、復帰してからはたまに炎上しながらも3軍から2軍へ上がっていった。が、8月にランニング中に足を痛め今季絶望となる。その後は、良いところを見せられないまま退団となった。
- 2015年8月、台湾プロ野球のLamigoモンキーズに外野手として入団と、故障も絡んで30過ぎにしてまさかの野手に転向。25試合に出場すると打率4割越えをマークするなど、弟・陽岱鋼の「打撃センスは僕より上」というコメントを思い起こさせる成績を残した。
陽兄キャンプボイコット事件
- 事の発端は、2013年春季キャンプ直前に、メジャー挑戦に関する契約上のトラブルが発生(球団編成部長曰く、「向こうの問題でうちは関わりのないこと」)。陽兄側が敏腕の代理人をつけ対抗し、キャンプをボイコットしたことから。結果的に「今季他球団に移籍しないなら、来季にメジャー挑戦してもいい」という条件と、契約金3500万+出来高で契約した。陽は“よう”わからんにゃ〜(by監督)。
- ちなみに、このキャンプで陽はA組スタート予定だったが、上記理由によりB組へ。代わりにばっさんが実質棚ボタでA組スタートとなった(が、遅刻が絡み、すぐにその大場もB組落ち。結局、甲藤がA組に上がるという甲藤大勝利展開となった)。ばっさんェ…
エピソード
- 初ヒロインではガムクチャ状態だったため、印象が良くないと指導されたもよう。
- 陽岱鋼曰く、「打撃センスは自分より兄の方がある」とのこと。
- 弟と違ってドラフト外入団の外国人選手であるため、最大の敵は外国人枠と言われることも。
最終更新:2016年01月30日 22:58