近田怜王
背番号49 外野手 左投左打
- 名前の読みは「レオ」。ライオンズブルーの血を感じさせる読みなだけに、西武から選手が移籍して来ると代償になるのではないかと不安視するたかせん民もちらほら。
- 三兄弟の末っ子で、長兄が「吏由壱(りゅういち)」、次兄が「吏央(りお)」とのこと。
- 報徳学園時代から注目を浴び、全国高校野球大会には複数回出場した。2008年ドラフト3位指名で投手として入団。後日入団会見で登録名を「怜王」(背ネームはLEO)とすることを発表した。
- 憧れの選手は杉内と工藤公康。特に杉内のフォームを積極的に取り入れ、「杉内かと思ったら怜王だった」と量産型杉内のような状態になっていた。顔も安心と信頼のワンコ顔である。
- 2010年オフにオーストラリアのウインターリーグへ派遣。
- 2011年12月6日には背番号がそれまでの「29」から「49」へ変更。さらに2012年1月24日には、登録名を「近田」に変更することを本人がツイッターにて発表。
- 2012年まで一軍登板はなく、フォームも上手投げか横手投げかと情報錯綜状態。ただ、2011年オフに横手投げの練習をしていた際に、中日の吉見と女子ソフトボールの上野由岐子から「どうして上手投げをやめたのか。元のフォームに戻した方がいい」と言われたようだ。どうでもいいが、謎の顔ぶれである。
- 同年8月3日に「投手に未練はない」と野手転向する旨が発表された。寝耳に水の出来事に、住民ビックリ。報徳時代には5番バッターをつとめていたらしい。野手転向後初の試合では、無安打ながらいきなりスクイズを決めている。その後、規定打席に到達しないながらも、打者として結果をかなり残してシーズン終了。
- 10月7日に戦力外通告を受けるが、育成落ちかもという話も。トライアウトでは踏ん切りをつけるため「投手」として参加し、住民を驚かせた。
- テスト後はオファーがなく、一度は引退を決めるも現役続行を表明。今後は社会人野球のJR西日本に活躍の場所を移すこととなった。2015年10月に野球を辞める旨を述べる。
エピソード
- ウインターリーグ先では、星野コーチに手製のパスタを振る舞って好評価を受ける。
- 年齢こそ離れているものの、山崎は報徳学園の先輩に当たる。
最終更新:2015年10月28日 00:57