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比留間慎也の日常 > その1 ~Near Midair Encounter~


──退屈だ。

某国から日本へと戻る飛行機の中で、比留間博士は暇を持て余していた。

先程までいじっていたノートパソコンは鞄の中にしまわれ、電源を落とされていた。
このパソコンで出来る範囲の作業はとっくに終わってしまっていた。
メールでも出来ればいいのだが、生憎とこの機にはインターネット設備がついていないのだった。

ちなみに、彼が乗っているのはエコノミークラスである。
別にファーストクラスやビジネスクラスでも良かったのだが……
この治安の悪いご時世でグレードの高いクラスに乗っていれば、それだけ変な組織やら秘密結社やらに目を付けられやすいことは容易に想像がつく。
そういった算段の結果、彼はエコノミークラスの、しかも格安のチケットを購入したのだった。

──しかし、ここまでサービスが悪いとは思わなかった。今度からは別の航空会社にしよう。
エコノミーでも結構いいサービスの会社はある。


窓の外を見ると、地平線の彼方に日が沈むところだった。
空は深い藍色からグラデーションを描き、橙色へと繋がっている。


──暇なので、少し寝ることにする。
比留間博士はカーテンを閉め、オーディオの電源を切ると、毛布を自分の肩にかけた。

しかし、彼の体内時計はまだ“昼”の15時を指していた。なかなか眠りにつくことができない。
暫くして──

「……たいくつ」

小さい女の子の呟きが聞こえた。
何席か前の方に座っているラテン系の親子連れだろう。
見ると、金髪の娘が駄々をこねているのが目に入った。

──それにしても、子供でさえ退屈するのか。つくづくひどい航空会社だ。
それとも、子供というのは僕が思っているよりも飽きっぽい生物なのだろうか。

「ねぇ、おとーさん。おと、ならしてみて」
「アイリン、お前いくつになったんだ。あれは赤ん坊をあやすためのもんだぞ。そのイヤフォンで聴いてろ」

音──会話の流れから判断すると、少なくともオーディオではない。
何かしらの玩具か、父親の特技か、あるいは“能力”か──頭の中に三つの可能性が列挙される。

──いずれにせよ、音とは普段娘をあやすために使っている「何か」なのだろう。
今使わない理由は……

「やだ。つまんないもん。ね、やって! 小さ~いおとでいいから!」
「だめだ。つまんないなら、寝てろよ」
「おとーさんがおと、ならしてくれたらねる」

娘はぐずって父親の膝をパンパンと叩いている。
父親のほうは特に何かをする様子はない。

「痛えって。おい、今、音楽聞こえたか?」
「へ? なんにもきこえないよ?」
「そうか、じゃあダメだな。今は音楽鳴らない時間なんだ」

その会話を聞いて、比留間は気付く。
──ああ、なるほど。鳴らさないのではなくて、鳴らせないのか。

父親の“能力”はおそらく音楽を操る能力──といったところか。

“能力”の発動には、体内時計の推移が深く関わっている──昼には昼の“能力”、夜には夜の“能力”。
しかるに、飛行機による長期間の移動は体内時計を狂わせることがある。
体内時計が狂えば、使える“能力”にも影響が出てくるのは必然だ。

今は夕方。体内時計の針が昼から夜へと移り変わる時間帯にあたる。
人によっては体内時計はもう夜になっているだろう。
──あるいは「時差ボケ」による“能力”の機能不全なのかもしれない。

自分は、今“能力”を使えるのだろうか。
もし使えるのならば……

誰にも気づかれないような小さな音で「パチン」と指を鳴らす。
指を鳴らすのが、能力を使用する際の数年前からの癖だった。

「……つまんないの。おとーさん、ついたらぜったい、きかせてよね。やくそくだからね」

「わかったよ。いいから寝ろ」

昼は「周囲を夜にする能力」、夜は「周囲を昼にする能力」。
周囲の人間は、体内時計に関係なく本来の時間帯とは逆の能力が使えるようになる。

誰にも気づかれることなく、窓の外にそっと夜の帳が下りた。

──どうやら自分の昼の能力は、無事に発動できたようだ。

これで、父親が能力を使えるようになればよし。
そうでなくても日没後にもう一度試せばいいだけの話だ。

父親は娘の頭を優しく撫でている。
すると、あれほどぐずっていた娘は大人しくなり、寝息を立て始めた。
音楽は聞こえなかった。

──娘にしか聞こえない特別な音楽だったのだろうか。それとも……
ともあれ、これで一件落着。
じきに本当の夜が訪れ、僕の“能力”も自然に解除されるだろう。

慎也博士は最後にもう一度機内を見渡し、再び毛布を肩にかけて眠り始めた。

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最終更新:2010年08月09日 19:37
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