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比留間慎也の日常 その2



 ~ Enter Mineko Kuraya, Agent Aleph; in a Laboratory~


──とある研究所にて。

狭霧アヤメ……またとんでもない能力者が現れたものだ」

──とある昼下がり。

研究所の所長である比留間博士はパソコンの前に座っていた。

時計の針は12時半過ぎを指している。
デスクの上にはパソコンの他に雑多な書類やコーヒーの缶、ビニル袋などが散らばっていた。

「うちの研究所も気をつけないといけないな……」

パソコンのディスプレイには、今話題の殺人鬼“狭霧アヤメ”の最新情報が映し出されていた。
昼食代わりの菓子パンを頬張りながら、比留間博士は画面をスクロールさせる。

既に犠牲者は確認されているだけで100人を超えている。
リストには犠牲者の氏名とそれぞれの昼の“能力”が記載されていた。

──と、ドアが開いて一人の女性が室内に入ってきた。

入って来たのは20歳前後の、若い日本人だった。
その服装から、研究所の職員でないことは一目で分かった。職員が着るような白衣やスーツではなく、黒のワンピース。
首からは「来賓」と大きく書かれたカードをぶら下げている。

「こんにちは、比留間博士」
「ああ、鞍屋君か。久しぶり」

彼女の名前は鞍屋峰子。比留間博士が国際学会の仕事で知り合った科学者だった。

「博士があんまり外に顔を出さないので、様子を見に来たんですよー
もしかして、迷惑でしたか?」

彼女はこの研究所の職員ではない。
普段は仕事の都合上、四六時中海外を飛び回っているようで、比留間博士と顔を合わせるのは数週間ぶりのことだった。

「いや、休憩中だ」
「良かったぁ。で、何を御覧になっているんです?」
「こいつだ。狭霧アヤメについての報告書」

先程から比留間博士が見ていたのは、狭霧アヤメの“能力”──《闇の軍勢》の犠牲になった被害者たちのリストだった。

「ああ、この子。学会でも話題になってましたね」

峰子は画面の文字にざっと目を通す。
黒いリボンで留められた長髪が、クーラーの風を受けて靡(なび)いている。

生物工学を得意分野とする比留間博士に対し、彼女の専門は量子物理学である。
特に並行世界に関する研究で大きな成果を収め、齢19にして国際学会の役員にまで登りつめた天才科学者。
(しかし、その地位も能力も、彼女の持つ側面のほんの一側面、表の顔に過ぎない。彼女の裏の顔は──)

「博士、彼女のこと、どう思われます?」

素なのかキャラを作っているのか──峰子は公の場では絶対に使わないであろう、甘い高い声で比留間博士に訊ねた。
対する比留間博士は、いつも通りの平然とした口調で答える。

「狭霧アヤメに関しては……その“能力”はもちろん、性格も問題だな。
彼女が世間に与える動揺はあまりにも大きい。既に多くの政府や機関が彼女を野放しにしておけないという見解を発表している。
そろそろ“国連軍”も動き出す頃合いだろう?」

会話の途中で比留間博士はさり気なく訪ねた。彼は峰子の裏の顔を知っているのだ。

「ええ、国連は今その準備やら議論やらの話で持ちきりですよ─」

鞍屋峰子は学会で活躍するかたわら、国際連合に務めている。むしろこちらのほうが本職になる。

と言っても、その事を知っている者は少ない。
なぜなら彼女が所属しているのは“UNSAID”──国際連合特務諜報部局だからだ。

いわゆる、女スパイ。
比留間には良く分からないが、どうやら幹部クラスの権限はあるらしい。

「─そしたら、また博士に相談が来るんでしょう? どうです? 勝算はありますか?」

もともと峰子が比留間博士に近づいたのも、彼が国際連合にとって、“能力”に関しての重要な情報源となりうるからだった。
その事に気付かない比留間博士ではなかったが、別段彼女との接触を拒むことはなかった。

その見返りとして、UNSAIDは比留間博士に能力者の情報を定期的に提供している。
比留間博士は言わば、国連お墨付きの研究者なのだった。


「君のその量子コンピューター並みの頭脳で計算できないのか?」
「博士の意見を聞きたいんですよう」

鞍屋峰子の頭脳は、学会界隈ではその専攻分野とも相まって“量子コンピューター”と比喩されている。
比留間博士は過去に彼女が受けたIQテストの結果を見させてもらったことがあるが、その数値は驚くべきものだった。


                    「 測 定 不 能 」


これが、全ての問題を制限時間の半分以下で解いてしまった彼女に対して国際学会が下した診断結果だった。
このの超人的な頭脳に対抗しうる人物は──S大学のナオミ・ワイズマン准教授ぐらいしか、比留間博士には心当たりがない。

閑話休題(それはさておき)──
比留間博士は頭の中で軽く考えを整理した。

「頭脳戦になるな。まず、彼女の『能力を借りる能力』を防ぐために、“能力鎮静剤”の実用化が必須だろう。彼女に殺された人々に配給して服用させれば、昼の能力の脅威も半減する─」

“能力鎮静剤”とは──服用した者の“能力”を一時的に抑え込む薬である。
これを服用していればアヤメに“能力”を勝手に借用されることもない。

また、軍用に転化すれば能力者を容易く抑えることのできる強力な兵器になることが予想される。
(その事は覚悟の上だった。どんなに有用な発明でも、いずれ権力者たちの手によって軍事兵器に応用されてしまうことは避けられない。そしてそれは、止めようとしても一人の科学者の力ではどうにもならない歴史の必然なのだ──ダイナマイト、航空機、核エネルギー……)

一瞬よぎった感慨を押し殺して、比留間博士は会話を続けた。

「もし狭霧アヤメが“能力鎮静剤”の存在を知ったら、この研究所が狙われる可能性もある。注意を呼び掛けたほうがいいだろう」
「それに、“能力”研究の第一人者である貴方が攻撃を受ける可能性もありますね」

緊張感の無い会話が続く。まるで他人事のようだ。
理系の人間は──特に天才と呼ばれるような人物は、時に思考と感情とを切り離して行動する事をやってのける。

「そうだな。僕はメディアへの露出も多いし、彼女の目には“能力”の攻略法に気付く可能性が最も高い人物として映るだろう。むしろ今まで襲われなかったのが不思議なくらいだ」
「もし襲われたらどうします?」
「直接対峙した場合……幸いにして彼女の“能力”は、僕の“能力”で無力化できるタイプのものだ」

比留間博士の“能力”は、昼夜を入れ替える力だ──この事もやはり公には知られていない。
この“能力”が良からぬ連中の耳に入れば、不都合な事態が幾らでも生じてくる事は容易に想像がつくからだ。

“能力”を使って一時的に昼夜を逆転させれば、大抵の“能力”を無効化することができる。
厄介なのは日の出や日の入り後も効力が持続する“能力”だが……

「後は戦闘技術でどちらが勝つかだな。僕も基本的な護身術は身につけているつもりだが、相手は殺しの達人だ。
よほどうまい状況をつくり出すか、誰かの助けが無ければ、やられるのは僕の方だろう」

「十中八九、といったところですか?」
「いや、九分九厘だ」

それを聞いて峰子はクスッと笑った。
この博士、淡々と話しているかと思って油断していると、不意にこのようなジョークを飛ばしてくる。

「では、護衛が必要、ということになりますね。UNSAIDからガードマンを派遣してもらいましょう」

「ああ、そうしてくれると助かる」

UNSAIDや国連軍には戦闘に特化した“能力”や技術を持つ者──それこそ、一般に世間を騒がせているような迷惑能力者を遥かに上回る実力を持つエリート達が数多く在籍している。
いかに強力な“能力”を以ってしても、このエリート集団の前に好き勝手に立ちまわることは難しいだろう。


「で、どうします? この研究所としての彼女の処置は」

比留間博士は時折、研究のために無茶をすることがある。
どうやら峰子はそれを窘(たしな)めにきたようだった。

「どうもしないさ。最低限、襲われた時の備えだけはしておいて、後は国連軍が動くのを待つしかないな」

「うーん、博士にしては消極的な発言ですね」

──あるいは、煽りにきたのかもしれない。

「彼女の性格から考えて、こちらからコンタクトを取るのは危険すぎる。その点はしっかり認識しておかないとね。君も下手に彼女に近づかない方がいい」

「ええ、彼女には夜にしか近付かないことにしているわ。夜なら私の方が戦闘能力は上ですもの─」

比留間博士は、峰子の夜の“能力”を何度か見たことがある。
自称:黒猫に変身する能力。
(しかし、猫は普通は空を飛んだり、傘に化けたり、銃弾を受けても平気な顔をしていたりはしないと思うが……)

狭い隙間にも入り込むことができ、攻撃を受けても再び猫の姿に変身し直す──つまり回復することができる夜の間に彼女を倒したり捕まえたりするのは、非常に骨が折れる仕事になるだろう。


「─ところで博士、昼食は済ませました?」
「これ」

と、比留間博士は机の上に置かれたカレーパンと牛乳を指差した。

「にゃ~ダメですよう、牛乳と菓子パンだけなんて不健康です! 外に食べに行きましょう」
「……あれだけ物騒な話題を繰り広げた後でか?」
「大丈夫ですよ、私が“護衛”についていますから。一応プロですから、不意打ちされるなんて不覚、滅多に取りません!」

まったく、素なのかキャラを作っているのか……

「滅多にって何だよ」
「世の中に絶対はない──ってことですよ。そんなに心配なら、研究所内の食堂でもいいですから、ね?」


やれやれ、と比留間博士は立ちあがった。
人づきあいというのは面倒くさいものだ。
しかし一方で、この面倒くさい人づきあいを楽しんでいる自分がいることも、また事実だ。

食事の場では、お互いの専門的な話を思いっきりぶつけ合うことにしよう。

かたや生物学と、かたや物理学。
従来までまったく違う道を歩んできた各々の学問が、今、“能力”という共通項を通して一つに纏まりつつある。
そして生まれてくる新たな研究分野──超心理学、世界認識学、世界外存在学──これからは従来のような頭の固い学者は生き残れないだろう。

比留間慎也と鞍屋峰子は自分の専門外の知識、幅広い分野の知識を吸収できるだけの頭脳を持つ数少ない人間だ。
だからこそ、何となく気も合うのだろう。

昼下がりの研究所の敷地内を、白衣の男と黒衣の女はゆっくりと歩いて行く。
彼らがその頭に思い描くものは何だろうか──


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最終更新:2010年10月03日 12:06
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