夜見坂高校。
隕石衝突『チェンジリング・デイ』以後に設立された都市部の私立校である。
比較高めの偏差値と学費と、非常に整った設備環境。それに物理法則を超えた能力者向けの、少々珍しいカリキュラムを取り入れていることでも有名であった。
長い坂の先にある丘の上に位置している為、教室の窓からは街が一望できる。
彼、
谷風良が幼い時に隕石は地球を襲ったが、それ以前とさして世界が変わっているようには思えなかった。
せいぜい非行少年たちの超能力使用が問題視されたり、それに付随して抗争が起きたり、胡散臭い研究組織が雨後の筍の如く設立されたくらいだ。
「谷風、くん」
蚊の鳴くような声で、視線を教室の中に戻す。同学年の間で若干名物扱いされている風紀委員メンバー、
坂峰蓮であった。
入学時に事務員の勘違いで女子制服を支給されたという逸話を持つその少年は、たどたどしく続ける。
「体育の持久走の規定タイム、クリアできなかったよね」
顔だけでなく声まで美少女然としたその男子は、再び窓に目を移した谷風に言う。
「それで、成績不良者対象の補習が設けられたんだけど……ねえ、聞いてる?」
「聞いてるよ」
体育で規定タイムとはまた、自衛隊学校みたいなシステムだな。などと思いながら、谷風は適当に頷く。
まあ体育担当教師の烈火のような怒り振りから、薄々予想できた展開でもあった。
「それで、今回は夜間実施になったんだ。夜に便利な能力が発現する人向けに。だから今夜――」
「今夜?」
さすがに訊き返していた。
「冬休みも目前の十二月半ばに、夜間マラソンさせんのかよ。風邪引いたらどうすんだ」
「でもこれに出ないと、留年になっちゃうよ」
こと赤点に関しては非常に厳しい高校なのは、常に当落線上の成績を取っている谷風のような学生の間では常識であった。これが救済措置なのは判るが……
「しかしこの手の連絡は普通教師経由だろ。何でお前がそんなことを知らせに来たんだ」
「だって今回の補習は、私たちが監督するし」
「……は?」
「体育の先生、今朝になって体調崩しちゃって。他の先生も年末で色々忙しいんだって。こっちも頑張るから、谷風君も補習頑張ってね。きっと進級できるから」
他校の男子から何度も声を掛けられているという実績に相応しい、可憐な花のような微笑を浮かべ、クラスメイトは谷風を励ますのだった。
夜間補習の集合場所は、夜見坂高校のグラウンドであった。身を切るような寒さは覚悟していたが。
「おいおい……」
立っているのは侮蔑の色も露わな風紀委員たちと、谷風だけであった。
一番取っ付きやすそうなクラスメイトを捕まえて、彼は尋ねる。
「おい、坂峰……体育の成績不良者って、学年で俺一人だったのか?」
「ううん。名簿では二十人近くいたんだけど……」
「ならこの出席率は何だよ!」
夜の高校に成績不良者の叫びが木霊する。校舎の壁に掛かった時計を見ると、あと二分で開始時間だった。
「う~ん、ちゃんと全員に連絡したはずなんだけど……」
困惑した様子で首を傾げていた女装少年は、やがて持っていたA5判のファイルから、一枚の地図を取り出した。
「とりあえず、先にコース説明だけしておくね。ここを出て、大体町内を一周するような感じ。道順はそんなに難しくないし、ちゃんとコース誘導する人も配置されてるから」
「規定タイムは」
「タイムはないんだって。だから、とにかくゴールすれば大丈夫」
距離はともかく、実質時間無制限というのは気前が良い。教師陣も鬼ではないということか。
「あ、そろそろ始まるって。じゃあ頑張ってね」
「はいはい」
グラウンドを出た谷風は月明かりの中、たった一人で夜の街へと駆けて行く。長い坂を下り切り、二車線の道路の歩道をジャージ姿で走り続ける。
車や人の往来も多い道をしばらく進むと、途中で見慣れた制服を着た目付きの悪い男がいた。
「こっちだ」
交差点の手前に立っていたその男は、右手の薄暗い道を指す。はいはい、と心中で呟きながら、谷風は無言で指示されたルートを取る。
車がすれ違うのも難しそうな、住宅街だった。両脇にはブロック塀が伸びている。街灯も少ない。『痴漢に注意』との看板が電信柱に立てられており、まるで真冬の肝試しだ。
と――
のんびり走っていた谷風は、突然真横に跳躍した。自分の立っていた場所を赤い熱線が通過していった。
背後を振り返る。先程の風紀委員が、手の平をこちらに向けていた。
「……どういうつもりだ」
「気にするな。例年通り、ゴールまで辿り着ければお前の補習は終了だ」
それを聞いて谷風は理解した。なぜ誰もこの補習に出席しなかったのかを。つまり連中は最初から成績不良者たちをゴールさせる気などなかったわけだ。
「何も知らないらしいな。お前に朗報だ。この補習をクリアすれば、自動的に風紀委員上級構成員になれる。
バフ課や研究所での就職もほぼ確約されている」
「興味ないね」
「ならここで自らの無能を悔いて果てろ。落伍者」
再び熱線が飛んで来たが、タイミングを読んでそれを潜り抜けた谷風は一気にその男子の眼前に詰め寄り――
「なっ――」
拳をこめかみに打ち付けた。
「お前、その能力は……」
崩れ落ちた男子に背を向けながら谷風は、先程坂峰が見せてくれた地図を脳内で思い描く。
確かルート誘導は残り五人。恐らく全員襲い掛かってくるだろう。器用貧乏と揶揄されがちな自分の能力『ポルターガイスト』で、どこまでやれることやら。
熱線の突き刺さったブロック塀は、半分ほど溶解していた。連中は本気だ。
寂しい道を走り終えたところで、二人目の風紀委員と遭遇した。今度は三車線の道路だった。
――確かここは、左だったな。
なら案内を聞くまでもない。
谷風は先手を取って不可視の力を叩きつける。相手の身体は宙に飛び、車道に転がり出た。
順調に車が行き交っていた道路から、急ブレーキと車同士がぶつかる地味な衝撃音が聞こえたが、気にせず走り続ける。
三人目。今度は最初から戦闘態勢だ。どこかで連絡を受けたのかもしれない。もしかしたら自分を捕縛した時点で全員に連絡が行くシステムなのかもしれない。
相手が指を鳴らすのと同時に、谷風は横に飛ぶ。小規模な爆発が起きていた。
再び相手が指を鳴らそうとしたその矢先、谷風は男子の指の骨十本を、ポルターガイストで全てへし折っていた。
地面にのたうち、みっともない悲鳴を上げている男を踏み越えて谷風は走る。気絶まで追い込んだ方が安全な気もしたが、あまり無駄な体力は使いたくなかった。
寂しい道に再び戻る。
その先の四人目は、一見して判る肉弾戦主体の能力者だった。拳に淡い光が宿っている。
にやりと笑ったその筋骨隆々の男子は、顔を伏せてしゃがみ込むと地面を殴りつける。
コンクリートの八方に、深く巨大な亀裂が走った。
が――
「戦闘中にデモンストレーションなんてしてんじゃねえよ」
重力無化で地面と向き合っていた男の背後まで一気に跳躍した谷風は、後頭部に硬化した手刀を叩きつけた。
「貴、様……」
「素人相手なら威嚇も悪くない手だけどな」
口惜しそうに気を失った男に背を向け、谷風は走る。
そもそも急ぐ必要もないのだが、集中力の持続している内に全員片付けたかった。
大きく婉曲した道を駆け抜け、気付けば高校へと続く坂の前だった。
「連絡がないから、まさかとは思っていたけど」
立っていたのは女子の制服に身を包んだ、坂峰蓮だ。
「……本当にここまで来るなんて」
息を整えながら、谷風は問う。
「知ってたのか。この補習の本当の内容」
「ううん。さっき初めて聞かされた」
そして坂峰は、月明かりによって生まれた自身の影に手を伸ばした。
その影は坂峰の手が触れると大きく揺らぎ、程なく漆黒の刀身を持つ、抜き身の刀へと姿を変える。
「でも、仕事だから加減はなし」
軽やかな跳躍と共に、坂峰が踏み込んで来ていた。
――速い。
身体能力を強化しつつ、谷風は後ろに跳んだ。ジャージは袈裟掛けに裂け、うっすらと血が滲む。先ほどまでの連中とは段違いだ。手を抜けばやられる。
「夜の能力は随分優秀みたいだな」
「そっちこそ。ここまで出来るなら、最初から本気を出せばいいのに。本当だったら持久走なんて楽勝なんでしょ」
「疲れるから好きじゃないんだよ、この能力」
刀を持った腕を狙う。が、坂峰は高速で移動を始めていた。間合いは詰めてこない。回避行動か。
こちらは空間を狙って発動しているだけに、有効な手段だ。恐らく先ほどまでの戦闘情報も収集されているのだろう。
と、一瞬距離が詰まり、頬を裂かれていた。あと少しでもこちらの反応が遅れていたら、首が飛んでいただろう。
「お前で最後か」
「うん」
「なら出し惜しみはなしだな」
直後、谷風は自身の周囲の重力を増加させた。鉄の布を被せるイメージ。近くにあった街灯の一本が折れ、地面に激突する。
「くっ――」
足を止めて膝を突いた坂峰に、谷風は衝撃波をぶつけた。弾かれて倒れた風紀委員を見て、彼は全能力を解除する。
「…………疲れた」
「もしかして、今……加減した?」
「一応な。お互いやりたくもない仕事で疲れただろ」
それきり口をつぐんだ谷風は、肩で息をしながら長い坂を上る。ほとんど体力は空になっていた。
数分後。辿り着いた正門の前で待ち構えていたのは、長身の上級生だった。
「おめでとう。これで君も、学校の足手纏いから栄えある風紀委員だ。多分この制度が実装されて初の快挙だ。胸を張ってくれ」
ふらふらと門に近づく最中にも男は続ける
「まさか精鋭の戦闘員を全滅させるとは。もしかしたら君には、直々に研究所やバフ課から仕事の依頼が来るかもしれない。会長の僕も鼻が高いよ」
無言ですれ違い、校内に一歩だけ足を踏み入れる。これで補習はクリアだ。
「……知るかよ、んなもん」
すれ違いざま会長にそう言った彼は、最後の力を振り絞って病院へ向かうのだった。
翌日。
「痛え……」
同じように窓の外を見つめていた谷風良だったが、筋肉痛で体を動かすのも辛かった。病院で包帯を巻いてもらってはいたが、坂峰に付けられた刀傷も少々痛む。
「格好つけてないで、あの時近くにあった保健室に行けば良かったんだよな……」
「谷風君」
昨日と寸分変わらぬ様子で坂峰が近寄って来た。
「昨日はごめんなさい。身体は大丈夫なの?」
「一応。むしろそっちはどうなんだよ。一人ヤバそうな奴がいて、指全部折っちまったけど」
「あの人は、入院してる。でも悪いのはこっちなんだから、谷風君に迷惑はかからないようにするって先生も言ってた」
でなければ困る。こちらは熱線や刀で命を狙われていたのだ。可能な限り穏便に済ませはしたが。
「……ところで谷風君」
「ん?」
「ブラッディ・ベルっていう不良集団、知ってる? 近くで活動してるから、うちの委員会でも頻繁に名前が挙がってるんだけど」
あまり耳にしたくない単語だった。
「結構有名だな。俺も聞いたことくらいならある」
「そこの前の総長って、実は中学生だったんだって。凄く強くて、敵対チームを一人で壊滅させるくらいに」
「はあ。そりゃ凄いな」
「今年高校生になってる年なんだけど……谷風君じゃないよね」
不安げな表情の坂峰に、努めて軽い口調を作って返す。
「まさか。開発機構のテストでもそんなに高い格付けはされてねえよ、俺は」
「そう……だよね」
でも、と坂峰は続ける。
「その総長の本当の怖さは、能力の威力とかじゃなくて、戦闘勘とかの、目に見えない強さだったって話なんだ」
陰りのある表情で、風紀委員はこう結んだ。
「……まるで、谷風君みたいだと思って」
その言葉に反論する術を、谷風は持たなかった。
おわり
登場キャラクター
最終更新:2011年01月08日 09:55