第19話「まだ目を見れない」の意味 その2

第19話「まだ目を見れない」は、巨人だと判明したエレンの処遇を審議する回である。

この「まだ目を見れない」というタイトルの意味は、いまだに判明していない。

 

 

 

 

私は、「まだ目を見れない」とは、ザックレー総統のことではないかと考えた。

初登場、かつ重要人物として描かれているのに、あまりにも提示される情報が少ないからだ。

 

 

 

 

エレンは思う。「あの人は確か・・・ 3つの兵団のトップ・・・ ダリス・ザックレー総統」。(エレンはいつどこでザックレーを記憶したのか)

たいていの場合、フィクションで主人公がある人物のフルネームを紹介したり、疑問に思う場合は、その人物を印象づける(フックをかける)ための記号であり、「読者もその人物を疑問に思って下さい」という、作者からのメッセージである。

 

 

 

 

前回の考察で、私は、ザックレー総統が「誰かの目を見れない」のだろうと考えた。

それは主人公のエレンではないかと。

 

 

 

 

今回、私が注目するのも、やはりダリス・ザックレー総統である。

ザックレー総統の、ある不自然さが気になったからだ。

 

 

 

 

それは、ザックレー総統のポーズである。

 

 

 

 

ザックレー総統は入廷した時から、体を正面に向けずに、右肘をテーブルに突き、体を左に向けている。

当然、顔も左を向く。

 

 

 

 

このコマのザックレー総統の絵は、正直言ってデッサンが狂っている。

しかし、それだけに作者チームの「ザックレーが左を向いている絵を描かなければならない」という、強い演出意図も感じる。

 

 

 

 

このコマでも、ザックレー総統の体が左に向いていることを示すために、右肩を不自然に下げて描いている。

ここでも、「ザックレーが左を向いているように描かなければならない」という作画上の制約があることが窺える。

 

 

 

 

なぜ、これらのポーズが不自然なのか?

わざわざここで、ザックレー総統に左を向かせる必要がないからだ。

 

 

 

 

もしも、このポーズの演出がザックレー総統のキャラクター性を表す描写なら、他の箇所でもこうしたポーズをしている絵が、印象的に挿入されるはずである。(リヴァイの潔癖症、ハンジのアグレッシブな言動のように)

しかし、この後、ザックレー総統がずっと斜めを向いているような描写は存在しない。

 

 

 

事実、アニメ版のザックレー総統は最初から正面を向いている。

これは、動きのあるアニメでポーズをずっと固定すると、どうしても不自然になってしまうので、演出を変更したのだろう。

 

 

 

 

改めてアニメ版を見て思うが、漫画でのザックレーの第一印象は「オランウータン」だった。

アニメ版のザックレーの外見は、原作よりも猿っぽく描かれている面もあると思う。

 

 

 

 

さて、これらの不自然なポーズの演出と、「まだ目を見れない」というタイトルで私は閃いた。

ザックレー総統が「まだ目を見れない」人物が、彼の右側にいるのではないか?

 

 

 

 

 

つまり、中央にいるエレンから見て左側である。

私は、その人物をアルミンだと考える。

 

 

 

 

 

では、なぜザックレー総統はアルミンの目を見れないのか?

以下のように考えてみた。

 

 

 

 

私はすでに、『進撃の巨人』では視線が非常に重要な伏線だと指摘してきた。

それはイルゼとしゃべる巨人、サシャが救った子供、第1巻のアルミン、ミーナと目の大きな巨人などから考察した結果である。

 

 

 

 

同じように、第1巻のアルミンの行動を見る限り、私は次のように考えざるを得ない。

アルミンはレイス王家の人間であり、ウーリ・レイス本人、またはウーリ・レイスに近い存在である。

 

 

 

 

しかし、王家というだけでは、三軍を統(す)べる元帥や防衛大臣に相当する(※)ダリス・ザックレー総統が顔を背けてしまうほど「まだ目を見れない」理由にはならない。

 

※作中の描写ではハッキリ分からないが、大臣ではなく、日本の総理大臣に匹敵する役職かも知れない。

 

 

 

 

そこで、私の「巨人に襲われる条件の一つは、目線を合わせることだ」という仮説を当てはめて考える。

 

 

 

 

ザックレー総統がアルミンの「目を見れない」のは、アルミンが「巨人」だからだ。

巨人の目を見ると襲われるという恐怖が、ザックレー総統を支配しているのである。

 

 

 

 

加えて、「まだ目を見れない」の「まだ」という言葉は、ループをイメージさせる。

つまり、ザックレー総統は「ループ越え」をしている可能性がある。

 

 

 

 

「ループ越え」とは私の仮説であり、主な特長は以下の通り。

●ループとは過去のある時点の状態に世界を復元すること

●復元ポイントに戻る時に人類は復元ポイント以後の記憶を失う

●しかし、一部の人間は復元後の世界に記憶を持ち越すことができる(これがループ越え)

簡単に言えば、RPGにおける「レベルや経験の持ち越し」と同じである。

 

 

 

 

そして、ゲームと同じく、「ループ越え」の回数が多い人物ほどレベルが高く、経験値も豊富で強い。

たとえばこれが、エルヴィンの強さや発想力、指導力の源であり、彼が正しく判断できる理由である

 

 

 

 

ザックレー総統は「ループ越え」をしているため、巨人の習性と、巨人に襲われる恐怖の記憶を持っている。

そのため、何度「ループ越え」をしても、”本当にえらいヤツ”への恐怖や畏敬の念から、いまだに「巨人の王」レイス王家の目を見れないのである。

 

 

 

 

<仮説まとめ>

 

◎第19話のタイトル「まだ目を見れない」とは、ダリス・ザックレー総統のことである。

「まだ」とは、ザックレー総統がループ越えを繰り返しているという意味。

「目を見れない」とは、(1)巨人の目を見ると襲われる、(2)ループ越えをしても、いまだに巨人に襲われる恐怖や、巨人への畏敬の念を克服できず、王の目を見ることができない、という意味。

◎タイトルの意味

「ダリス・ザックレー総統はループ越えをしているが、ループ前の記憶があるので、いまだに巨人への恐怖や畏敬の念を克服できず、レイス王家であるアルミン・アルレルトの目を見ることができない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最終更新:2016年09月25日 02:00