イェレナを逆から読むとナレェイ→ナレァイ→馴れ合い(なれあい)。
マーレ義勇兵とパラディ島の兵政権の協力体制は、所詮は野合に過ぎず、どちらも自分の思惑で動くので、いずれ崩壊することを暗示しています。
ヒィズル国も同様です。
同時に、エレン→ヘレン、エレナ、エレーンになることもイメージしていると思われます。
イェレナは第110話「偽り者」で、「エレンの誘導に成功し、ジークの望んだとおりの結果を得ることでは意味がない」「私はただエレン・イェーガーに私を知ってほしかっただけ」と答えています。
このセリフには、2つの意味を感じます。
①エレンを救世主として、あるいは他の理由で崇拝しているので少しでも近づきたい
②エレンに自分を知ってもらうこと自体に何かメリットがある(エレンに記憶してもらうと来世で復活できる、など)
イェレナは普段はハイライト無しの黒目ですが、本心を語る時には目にハイライトが入るようです。
また、第二次世界大戦までは散切り頭(ざんぎりあたま)と言えば日本人の特徴として有名でした。
たとえば現在でも新作が作られ続けているアメリカの大人気SFドラマ『スター・トレック』に登場するミスター・スポックは日本人がモデルのため、散切り頭をしていますし、生真面目で融通が利かず、ユーモアを介さない堅物で、そのうえ合気道をモデルにした不思議な技も使います。
面白いことに、これが日本に逆輸入され、「宇宙人や異星人(い聖人)は散切り頭」というイメージになりました。
アニメ『伝説巨神イデオン』で敵の異星人バッフ・クランが散切り頭なのは、それがSFにおける異星人のパブリック・イメージだからであり、同時に、日本人と言えば「侍(サムライ)」だからです。
というのは、『イデオン』は最初、敵のバッフ・クランは封建社会で「サムライ」と言う階級があるという設定だったからです。
ところが、富野喜幸(現・富野由悠季)監督が「これは違うな」と感じて、途中からその設定を使わないようになってしまいました。
(この頃のサンライズは、ラストや設定を決めずに見切り発車し、設定やストーリーを考えながらアニメを放映することが多かった。特に当時の富野監督は1年に1本、完全オリジナルの新作アニメを考案し、制作し、放映するという激務の渦中であり、考えながら作るのが常態化していた。もっとも、ご本人のお話では『鉄腕アトム』の頃からずっと同じ状態だったとのこと)
ですから、劇場版の『イデオン』しか知らない人は、TV版の初期を見ると若干違和感を感じるかもしれません。
ちなみに、イェレナは「二人の兄弟によって世界は生まれ変わる」と言っていますが、これは諸星大二郎の名作『マッドメン』で有名になった洪水型兄妹始祖神話です。
私は最初に『進撃の巨人』を読んだとき、最初に
「なぜ主人公をエレンという女性のような名前にしているのか?」
と疑問に思うのと同時に、とても気持ちが悪いと感じました。
この気持ち悪さが、連載初期にいったん読むのをやめてしまった理由の一つです。
しかし、それも
「エレンが女性でなければいけない理由があるから、女性のような名前にしている」
のだとすれば理解できます。
たとえば、以前も書いたように、NHKをはじめとする極左・共産主義の皇室を衰退させるために母系天皇を推進する政治工作の一環として、「女王で無ければ使えない巨人の力があるから」という結論に導く可能性も残っています。
あるいは、
「兄と妹(ジークとエレン、アニとアルミン、など)でなければ創世できない」
という設定も考えられます。
なぜかというと、中国共産党は近親相姦が大好きだからです。
と言うか、共産主義は近親相姦が大好きなのです。
これは冗談で言っているのではなく、共産主義は「既存の価値観の破壊」が大きな目標となっているためです。
ですから、毛沢東の中国共産党は「文化大革命」という「既存の文化を破壊する運動」を実行しました。
★ちなみに、『進撃の巨人』アニメ版SEASON1の最終回前、第24話「慈悲 ―ストヘス区急襲 (2)―」のラストで、階段に猫がいます。
これは、猫の中国語「マオ」と毛沢東の中国語「マオ・ツォートンまたはマオ・ズードン」を掛けたダジャレにもなっています。(日本語ではどちらも同じ表記になる)
ネットで調べた事がある人なら、当時の大学や図書館の貴重な書物が燃やされた話を聞いた事があるかもしれません。
「古い価値観で書かれた本は全て焼いてしまえ」というわけです。
このときの笑い話があります。
ある大学では本を守るために一計を案じ、全ての本に毛沢東の写真を貼りました。
すると、共産党は「毛沢東の写真を傷つける事はできない」と困ってしまい、その大学の本を燃やさずに帰ったそうです。
私の知る限り、これが文化大革命で唯一明るい話題です。
「既存の価値観」には「家族」も含まれます。
ですから、文化大革命では子どもが親を、生徒が教師を徹底的に虐待し、拷問し、殺害しました。
中には、教師を処刑し、その人肉を教え子や近所の人たちで食べていたという、信じられない実話まであります。
最初は「革命の理想」のための処刑だったのが、次第に「人を殺して、その肉を食べる」事自体が目的となっていき、この報告を聞いた共産党自身も、最初は事実だと信じられなかったそうです。
実は、このような殺人をショーのように考えたり、その人肉や人血を食べるのは当時の中国では当たり前の事でした。
たとえば、今テレビに出演している評論家の石平(せきへい 現在は日本に帰化して石平 太郎)氏と、元・中国残留孤児2世で15歳の時に日本に来た矢板明夫産経新聞 外信部次長によれば、彼らが子どもの頃の中国では、祝祭日には公開処刑をするのが慣習だったそうです。
処刑されるのは大抵は罪人でしたが、メンツの国である中国では「処刑の数が少ないと自分の沽券に関わる」というので段々死刑の数が増えてゆき、微罪の人でも――たとえば「飲み屋で政府を批判する発言をした」というだけの人でも無理矢理逮捕し、人数を水増しして処刑していたのだそうです。
しかも、殺されているのがそういう「運の悪い」人だというのは、見ている人たちもみんな知っていたのだそうです。