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『進撃の巨人』の敬礼は、心臓に右手こぶしを当てる動作です。
この動作は、「公(おおやけ)に心臓を捧げる」決意を示すものだとされています。(4巻第15話「個々」キース・シャーディスの言葉)
なぜ心臓を捧げるのでしょうか?
私の考察では、壁内人類の血は「キリストの血であり、ワイン」です。
壁内人類は「ブドウの実」であり、その血は熟そうとしています。
機が熟したら、ブドウの実たる人類は神の足に踏みつぶされ(タイタン・フィート)、流れ出たワインを多くの人が飲み、巨人を復活させます。
ウトガルド城の酒瓶はその伏線であり、誰かが酒を横取りしているために、本来の目的を達成できないという展開なのだろうと考えています。
漫画のほうでも、ジークの骨髄液(血は骨髄で創られる)はワインに混入されています。
ここでもワインは神やキリストの血をイメージさせているのでしょう。
さらに、1巻第1話「二千年後の君へ」冒頭の、ミカサのようなマフラーをした子どもが「いってらっしゃい」と誰かに話しかけているように描かれたシーン。
私にはあれがマフラーには見えないのです。
最初は唇に見えたのですが、首に巻き付いた血の触手か木の根とも思えます。
どちらにしても、私はあの絵を見ると血をイメージしてしまいます。
このマフラーが血に見えることと、血とワインを絡めた伏線から考えて、私は心臓を指す敬礼から「キリストを復活させるために血が必要なのではないか」と考えました。
つまり、この敬礼は「自分の心臓を刺して神のために血を捧げる/敬礼を見る相手に自分の犠牲を思い出させる」という意味ではないかと考えたのです。
要するに『進撃の巨人』の敬礼は、まず第一に「必要な時が来たら自分の血を捧げる決意をせよ/血を流したのはお前のためだ」という自己確認だと考えられます。
もうひとつの考えられる意味は、「壁の真実を表した動作」ではないかということです。
では、その決意は兵団だけに要求されるものでしょうか?
2巻第5話「絶望の中で鈍く光る」で、ミカサは助けたルイーゼ母娘に向けて心臓を刺す敬礼をし、「ズキ」という頭痛らしき痛みを感じています。
このときミカサは、ルイーゼが返した敬礼は見ていないように見えます。
そして最近の第109話「導く者」では、成長したルイーゼが牢内からミカサに敬礼をするのを見て、ミカサは頭痛を感じて、かつて自分が誘拐された時、幼かったミカサを救出するエレンが誘拐犯の心臓に突き立てた包丁、そして自分に近づいてくるエレンを思い出します。
ただし、すでに「まだ誰も気づいていない伏線(2)ミカサの中にエレンの記憶 カルラ喰いとアニのエレン喰いの伏線」(最終更新日:2015年09月19日)で考察したように、ミカサはエレンの記憶を持っているため、私は「エレンとミカサが入れ替わっている」可能性も考えています。
壁の謎に関わっていると考えられるミカサが、自分の救った女の子の敬礼によって頭痛を覚えるのは、罪の意識が有るからではないかとも思えます。
こう考えてみましょう。
ミカサの脳内には、「本来のミカサの意識」が眠っています。
このスリーピング・ビューティー(眠り姫)である「本来のミカサの意識」は、何かのキッカケで覚醒しようとします。
誘拐犯の小屋で脳/頭蓋骨あるいは肉体という「鳥籠」に閉じ込められた少女が、ここから出して!とドアをノックするのです。
意識の海の底で眠っている深層意識が浮上し、海面の表層意識とぶつかる。
ミカサ本来の意識が表層に浮上し、表層を支配しているニセのミカサの意識と衝突した時に生じるのが、ミカサの頭痛です。
私はミカサの意識が罪の意識を感じていると仮定して、心臓を捧げることを強制されるのは兵団だけではなく、一般の人々もそうなのではないかと考えました。
さらにこの考えを発展させて、実は壁そのものが巨人の心臓であり、壁の内側に住む人間はすべて巨人のための血液ではないかと考えるようになりました。
1巻で最初に映る壁の絵。
私はこの見開きの絵が非常に引っかかりました。
最初は描き方から、
・強制収容所(アウシュビッツやラーゲリなど)
・原子力発電所(ハチ電所)
・アリ塚
をイメージしました。
しかし敬礼を考えれば、やはり巨人の心臓という意味合いもあるのだろうと考えます。
壁内の人類は、巨人=神を復活させるための血液ストック。
だから地下街にも住民を住まわせ、常に一定量の血液を確保しているのではないか。
戦争をした事もない王政が異常に内乱を警戒していたのは、人々の安全を考えたからではなく、「血が無駄になる」ことを恐れていたのではないか。
そして、ウォール・マリアを失った時に人類を間引きしたのは、壁の数が減ったので生産調整をしたのではないか。
農家が豊作貧乏を回避するため、農作物を廃棄するのと同じように。
あるいは、口蹄疫の感染範囲内にいた牛を、パンデミック防止のため殺処分するように。
壁が心臓だとします。
壁内人類が、その血を大量に流します。
その血は壁の中央から四方に伸びた川を伝って壁外に流れ、巨人の体に血を流して復活させる。
その「人間の血」を無垢の巨人がすすり、うなじの子宮から「次の世界の人類」を出産する。
あるいは、血を栄養にして世界樹の実が生り、その身を他の動物たちが美味しく食らうのかもしれません。
そして、「人間の血」で復活した巨人は豊かな獲物と資源をもたらし、「血を流した人類の認識に基づく世界」を再生してくれる。
それが壁の機能ではないのか。
壁の門は、その血を止める「血栓(けっせん)」なのではないか。
シガンシナ区決戦の「決戦」という言葉には、沖縄決戦の他に「シガンシナ区の血栓」という意味があるのではないか。
様々な可能性が考えられます。