【ワンピース ネタバレ考察】ルフィの”夢の果て”は「すべての◎をつなげて※になる」ついでにプルトンの元ネタ【ONE PIECE SPOILER】(追記)

 

※ここには漫画『ONE PIECE』の最新話の内容を含むネタバレ考察が書かれています。ネタバレが嫌いな方はここより下の内容を読まないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと予定を変更して現時点でのメモを残しておきます。

なぜかというと、もっちー先生の動画に投稿された内容が、私の予想とほぼ一緒だったからです。

青玉鱗について一言だけ書くと、ジニーの青玉鱗原因はバッカニア族のくまではないかと考えています。

 

◆◆

 

ルフィの”夢の果て”は「すべての創作物をつなげてアニメ映画を創り、その中に入ってすべての物語をハッピーエンドにする。そしてオレは米になる」と予想。

根拠はルフィの『「海賊王」になったらできるかもしれねェ!!』(1060話”ルフィの夢”)という発言。

「海賊王」とカギカッコが付いている点が重要。

カギ=キーなので、モンキーにもつながる。

私はここでカギカッコが付いている理由を『自分(ルフィ)が海賊王になれば、自分海賊王)を主人公やテーマにした「海賊王モノ」のコンテンツが生まれるはずだという意味に解釈した。

 

 

つまり、ルフィは海賊王そのものではなく、

自分が海賊王になることで、

「世界一有名な、世界中の人が読む海賊王の物語が書かれるだろう」

と言っている。

 

 

「海賊王伝説」が生まれ、『アーサー王物語』のように小説や映画、漫画やアニメになる。

そうすれば自分の”夢の果て”を実現できるかもしれない。

ルフィは「まず有名な、売れるコンテンツにならなければならない」と言っている。

 

 

ルフィは『「海賊王」になったらできるかもしれねェ!!』と「可能性」を語っている。

ルフィの目的は「海賊王になること」。

しかし海賊王になって、海賊王コンテンツが書かれるだけでは”夢の果て”を実現することは難しいという意味。

「海賊王ルフィを描くコンテンツが世界一の作品、世界最強のコンテンツになればルフィの”夢の果て”が可能になるかもしれない」

 

 

  • 世界中のコンテンツを戦わせて、最強の物語を決める。
  • それが海賊王物語だ。
  • それが『ONE PIECE』だ。

 

 

少年ジャンプの海賊マークから、ルフィの「海賊王」とは「ジャンプで一番の漫画家になる。ジャンプ最強の漫画を描く」という尾田栄一郎先生の決意も表現している。

 

 

ちなみに海賊マークには「ジャーニー」という名前があり、90度回転すると女の子の顔に見えるようになるが、この女の子は「ジェイミー」という名前である。

 

 

ニカの意味の一つは、アメリカとアフリカ。

リカのリを90度回転させて、ニカにしている。

アメリカは日本での略称が「米国」。

ニカの能力は(現時点では)アメリカのカートゥーン。

つまりルフィは「アメリカのコンテンツ」に変身している。

 

 

ルフィは「腹いっぱい食べることが出来る」ことを幸福と考える。

ご飯を食べる→米を食べる。

アンパンマンのように「自分が米になって飢えている人に食べてもらう」。

 

 

以上を合わせると、ルフィの”夢の果て”は、

「海賊王になることで世界一のコンテンツ(漫画)になって、すべての物語を一つにつなげて、すべてのキャラに命を吹き込んでアニメ映画を創り、その中に入って悪い奴らを全部ぶっ飛ばして、すべての物語をハッピーエンドにする。そして最後に自分は米になって、ご飯になって世界中の人たちに自分を食べてもらう、酒になって世界中の人に飲んでもらう」

 

 

酒とご飯で大宴会にもつながる。

ルフィは単に「腹いっぱい」にすることを目指しているのではなく、「それぞれの物語に合わせたハッピーエンドにする」ことを目指しているように見える。

例えば「離れ離れになっていた親と娘を再会させる(ドレスローザ)」、「人種差別を改善する(魚人島)」、「自信のない幼い指導者に自信と国を取り戻し、仇を討つ(ワノ国)」などの要素も存在する。

 

 

作中には「絵物語」しか存在せず、漫画もアニメも映画も無い。

ルフィが「その世界ではまだ存在しないもの」、すなわち映画やアニメを創ると言った場合、”大人”は笑い、”子供”は喜ぶ。

たとえばこんな感じだ。

 

 

▼ルフィ

「すべての本の中身が現実になって、絵物語の絵や登場人物が命を持って動き出すんだ!俺はそいつらを全員、人も魚も動物も化け物もロボも何もかも、みんな仲間にして大冒険するんだ!すべての冒険を終えたら、俺は米になってみんなを腹いっぱいにして、すべての物語をハッピーエンドにするんだ(=八紘一宇)」

 

▼”大人”

「は?何言ってんだ。本はフィクションだし、絵が動くわけないだろ、作り物なんだから。たしかに子供の頃はそんな妄想をしたこともあるがな、お前、その年でそんなこと言うのは頭おかしいと思われるぞ?まあ、お前らしいとも言えるけどな」

 

▼”子供”

「絵物語の世界が現実になって、ロボやヒーローやヒロインと一緒に冒険できるの!?差別も無いの?どんな未来でもかなうの?それいいなァ!!」

 

 

なぜアニメなのか?

アニメーションという言葉は、「命の無いものに命を吹き込み動かす」という意味のラテン語「アニマ」が語源だからである。

アニメーション

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

語源

Animation(アニメーション)は、ラテン語霊魂を意味するAnimaアニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する[2]

 

 

だからルフィが”夢の果て”を語ったとき、最初に映るのが「命が無いもの」であるサニー号なのである。

そう考えれば、『FILM RED』のラストで、ルフィがサニー号に呼びかけるシーンの謎も分かるだろう。

ルフィは「サニー号は生きていると考えている」のだ。

これはこの物語のスタートとなったヒグマと、物語のラストにつながる重要な要素である。

 

 

『ONE PIECE』の世界は信じる心と想像力が創造の力となり、現実となる。

だから「ルフィがサニー号は生きていると心から信じているから、サニー号には霊魂が宿る」。

ルフィが命を与えたと言える。

だからブルックはルフィの”夢の果て”を聞いて喜んだのである。

「一度死んでよみがえった」ブルックだから、死んだら骨だけのはずの世界で、ルフィの「命を与える」という”夢の果て”を聞いて、涙を流して感動したのである。

 

 

そして元は創作物なのだから、外見も人種も種族も関係ない。

だから差別によって苦しんだ異形の者たち、フランキー、チョッパー、ジンベエは涙を流して喜んでいるのである。

特にジンベエは「それこそはオトヒメ様の願いそのものだ」と嬉し泣きをしているようにも見える。

ジンベエは「この船に乗ってしまったからにゃあ 他人事(ひとごと)じゃないのう!!たいへんな船長についてしもうた」と言っているが、このセリフはおそらく、「現実の世界での航海が終わったら、その次は本の中の世界で冒険か。みんな”巻き込まれて”ついていかなくてはならない。こりゃあ大変だ」という意味。

家族内で差別されていたサンジも、バカにはしているが嬉しそうに笑っている。

 

 

コビーがなぜあれほどの変身を遂げたのか?

「ルフィが、”あいつはやるやつだ”と心から信じているから」である。

 

 

なぜ『ONE PIECE』にはミンク族のように動植物との融合が強調されるのか?

アニメーションの語源の「アニマ」を「アニマル」というシャレにしているからだ。

 

 

そして「ロジャーは万物の声を聴くことが出来た」。

私はこう考える。

「ロジャーは万物の霊魂と会話できた」あるいは「万物に命を与えることができた(キャラクター化することができた)」のではないか。

ディズニー作品でポットや時計がキャラクターになって動くように。

 

 

つまり、ロジャーはアニメーターだった。

ルフィもアニメーターなのだろう。

アニメーターとは、本来の意味は「命を与える者」という意味である。

 

 

ちなみに、ディズニーで多くの作品のキャラクターをデザインしてきたアニメーター「トム・バンクロフト」氏が『トム・バンクロフトが教える キャラクターに生命を与える技術』『トム・バンクロフトが教える長く愛されるキャラクターデザインの秘密』という本を書いている。

このトム・バンクロフト氏が、ウォーターセブンの船大工「トム」のモデルではないかと、私は考えている。

トムの名セリフ「作った船に男はドンと胸を張れ」とは「自分のデザインしたキャラクターにアニメーターは責任を持て」という意味かもしれない。

そしてアニメーターであるトムは、アニメーターであるロジャーの船を造った人物である。

 

 

ルフィの船「サウザンド・サニー号」を造ったのはフランキー。

フランキーはベガパンクの技術を学んだ。

「学ぶ」とは「真似ぶ」、つまり真似をするという言葉が語源。

日本は外国から技術を学び、幕末には自国で軍艦を造れる技術を持っていた。

特に佐賀藩は工業技術がヨーロッパに匹敵しており、破損した外国船が佐賀藩で修理してもらっていたほど。

 

 

余談だが、日本最初の蒸気船は1855年に薩摩藩が竣工させた「雲行丸」だそうだ。

その薩摩で学び、独自に蒸気船を完成させたのが四国の宇和島藩で、完成は1858年、造ったのはなんと「医者と提灯職人」である。

 

 

医者は村田蔵六こと、後の天才軍師「大村益次郎」。

提灯職人は、仏壇仏具や提灯などを作っていた嘉蔵こと、のちの「前原巧山」である。

 

 

日本人は黒船を見て「自分たちでも造りたい!」と考え、1853年にペリーが来てから、たった2
~5年で蒸気船の国産化に成功したことになる。

その時より250年ほど前の戦国時代の日本が、あっという間に鉄砲の保有量が世界一になってしまったのと、まったく同じ現象が起きたわけで、日本人は変わらないなあと感心してしまう。

 

 

そして、世界最初の蒸気船はフランスのクロード・フランソワ・ドロテ・ジュフロワ・ダバンが造り、アメリカで蒸気船を最初に商業的に成功させたのは「ロバート・フルトン」である。

「実用的な蒸気船を発明したのはフルトン」だと言われ、日本に来た黒船もその末裔である。

そしてフルトンの造った浮き砲台「フルトン」が存在する。

私の考えでは、この浮き砲台「フルトン」がプルトンのモデルであり、水に浮く砲台を「空に浮く砲台」にアレンジしているのではないかと想像している。

 

 

うーん、ココまで書く気はなかったんだが、つい勢いで書いてしまった・・・

最終更新:2023年12月22日 02:55