この事件のために、私は3ヶ月更新するのをやめていた。
3ヶ月経過したことで、漫画本編も新章に入り、作品への影響はほぼ無くなったと判断し、この文章を書き留めておく。
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エクスペクテーション・コントロール(期待値制御)とは、ビジネス用語である。
下請け会社がクライアントに、過度の期待も、過度の失望も与えないようにする行為を指す。
『進撃の巨人』原作チームは、インターネットまで使ってこの「ヒストリア注射サギ」を盛り上げようと工作したが、成功はしなかったと思われる。
第一に、読者には今までの『進撃の巨人』の原理原則を崩す行為と受け取られた。
私が過去に繰り返し言及したように、『進撃の巨人』は設定に忠実なフェアなヒントを出すのが特徴だった。
しかし、このヒストリア注射サギで、初めて忠実さではなく、読者を見下して「騙す」事を目的とした演出をしたため、それが読者に失望を与える結果となった。
第二に、読者には「ヒストリアが巨人になる」というミスリードの方が面白かったのに・・・と受け取られてしまった。
ストーリーが「リヴァイ班がさらわれたエレンとヒストリアを救出しに乗り込む」という展開である以上、「エレンやヒストリアが巨人にならず、あるいは巨人に食べられずにリヴァイ班に救出される」のは予定調和だ。
「ヒストリアが巨人になる」というミスリードの方が、明らかに読者の予想を超えた展開であったため、過度の期待を読者に与えてしまったのである。
第三に、インターネットでの工作が上記二つを助長してしまった。
インターネットで組織的に、今回のミスリードを補強するためにわざと情報を制限。
さらに「まさかヒストリアが巨人化するなんて!」という煽りも行った。
それらの行為が、上記二つの要因によって、裏目に出たのが今回の騒動だったと見て良いだろう。
では、エクスペクテーション・コントロールによって、この事態は回避できたのだろうか?
私は回避可能であったと考えている。
そもそもの問題は、「注射器の針がヒストリアの腕に刺さった」絵を読者に見せてしまった点にある。
物語の選択肢は、「ヒストリアが巨人になる」展開と、「ヒストリアが巨人にならない」展開の二者択一だった。
従って、ヒストリアが注射針を自分の腕に刺す前は、双方の可能性は50:50(フィフティ・フィフティ)でほぼ等価である。
しかし、読者だけでなく注射を経験したことのある全ての人にとって、「注射器の針が刺さる」ことと、「注射の効果がある(注射液が体内に入る or 血液を採取される)」はイコールである。
だから、針を刺した時点で、読者はほぼ100%「ヒストリアが巨人になる」展開を確信し、期待してしまった。
しかも、読者は「ヒストリアが巨人になる」展開の方が、原作チームの用意した本来のストーリーよりも面白くて興奮すると期待してしまった。
これは明らかにプロジェクト運営で避けなければならない「過度の期待」に相当する。
従って、対処は簡単である。
ヒストリアが注射針を腕に刺す直前のシーンで止めるだけでよい。
これで読者の受け取る「ヒストリアが巨人になるかならないかの可能性」は、50:50(フィフティ・フィフティ)で固定されるので、「過度の期待も、過度の失望も存在しない状態」を作り出せる。
また、登場人物の逡巡を表現する伝統的な演出手法であるため、読者にも安定感を与えることが出来る。
もしも私がすでに考察したように「ヒストリアが腕に針を刺すシーンがどうしても必要(※)」である場合は、針を刺すのを次回にすればいいだけである。
(※)針を刺すことは自傷行為であり、エレンやライナーやユミルたちが巨人化する時の方法と同じであるため、「針を刺してもヒストリアが巨人化しない=ヒストリアは巨人化能力者では無い」ことを表現している可能性があるという考察。
たとえばロッド・レイス卿がヒストリアの手を押して針を刺す演出にすれば、ロッド・レイス卿の強制性を強調することも出来る。