現在メモ中。
作中に繰り返し登場するパン。
キリストの肉。
(現在、キリスト生誕から約二千年であり、「二千年後の君へ」はこの世界でのキリスト生誕を起点にしていると思われる。ただし、現在の計算によると、キリストの正しい誕生年は紀元前4~7年とのこと)
アニメ版第一期最終回でも、エレンがパンを食べるシーンが挿入される。
DVDを持っている人は最終回のラストを見直してほしい。
このシーンは、意図的に「パンとスープを食べるエレン」を、「人間を食べる巨人」に似せて描いていると私は考えている。
つまり、このシーンは、エレンが巨人であるだけでなく、この世界のパンとスープは、「キリストの体」または「人間(に相当する存在。巨人)」であるという暗示である。
この設定なら、フリーダ・レイスの「私達は罪人だ」という言葉も説明できる。
「この」壁の人類は、「神食い」または「共食い」によって生きながらえていることになるからだ。
この場合、壁内人類はユダの子孫、またはエレンがユダ(JUDAS)かもしれない。
私は、もともと壁内人類は「食べる者」と「食べられる者」を交互に担当していたという仮説も立てている。
言わば、『カンビュセスの籤(くじ)』仮説である。
2015年8月1日現在、『進撃の巨人』で同じような仮説は出ていないようだ。
(1)食用人類の反乱と逃亡
たとえばある世界で食料が不足したとき、クローン技術で食用人類が作られた。
食用人類は無知性で、人間の命令に従う家畜として設定されていた。
しかし、ある人物(少女?)がこの非人道的な扱いに反対し、食用人類に知性を与えた。
知性を得た食用人類(ユミル?)は反乱を起こし、新しい壁を作るための座標を奪って逃亡した。
(2)隠れ里と共食い協定
食用人類は放浪の末、座標(ユミル?)の力で隠れ里を作って定住したが、結局食料がないので共食いをせざるを得なくなった。
そこで食用人類は協定を結び、数グループに分かれて、ローテーションで食料役を担当することにした。
ひとつのグループが一定期間、ほかのグループに食べられる生贄になるのである。
この共食いシステムによって、逃亡した食用人類たちは生き延びた。
(3)難民のクーデターと王政の誕生
しかしある時、ほかの壁から難民が逃げ込んできた。
難民は自分たちを受け入れた壁を裏切り、食料になりたくない食用人類グループと共謀してクーデターを起こした。
そして、その時に食料役を担当していた不幸なグループを、永遠に食料とすることに決めたのである。
権力を握ったグループは王政となり、再び座標の力を使って一般人の記憶を改竄し、忌まわしい過去を消したのである。
(後で『カンビュセスの籤』仮説だけで独立させる)
パンには巨人が入っている。
巨人が入っているのが麦なのか、酵母なのか、パンそのものなのか、それ以外なのかは不明。
「人間は小麦の奴隷」とさえ言われる。
米と違い、麦は広い耕地面積が必要で、面積あたりで養える人数が少ない。
一度栽培すると地力が落ちるので、同じ土地では連続して栽培できない。
そのため、毎年異なる耕地で栽培しなければならず、広い耕地を必要とする。
さらに、一つの種(=一本の穂)からできる小麦は大まかに言って50粒ほどで、収穫量を増やすためにも耕地を増やさなければならない。
その上、小麦のグルテンは腹持ちが悪く、すぐにお腹がすく。
小麦と比べ、米は一つの種から約200粒ほど収穫でき、狭い耕地面積でも多くの人口を養える。
また、水田は手入れさえすれば何百年でも同じ場所で米を栽培し続けることができる。
さらに腹持ちが良く、少量でも生活が可能。
そのうえ、玄米(表面の”ぬか”を落とさず精米していない米)は、人間に必要な栄養素をほとんど含んでおり、完全食と言って良い。
ほぼ仏教国であった日本では、明治になるまで動物の肉を食べる習慣がなく、副食物に乏しかった。
最近、奈良県で遣唐使の展示会があったが、その中に「当時の貴族はこんなに贅沢な食事をしていた」という写真があったのだが、これが完全にデタラメな内容だったので驚いた。
歴史の教科書でも、当時の貴族でさえ食事は質素なものであったことを学校でも習うのに、何故このようなデマを広めようとしているのか、非常に不思議に思ったのを覚えている。
たとえば、食事の写真に揚げパンやドーナツのようなものまであって、この点でも嘘だと分かる。
確かに油で揚げる料理法そのものは知られていたが、ゴマなどの原材料そのものが非常に少なく、日常的に使用できるものではなかった。
そもそも、揚げ物が奈良時代の日本の貴族の料理に存在したという話は、見たことも聞いたことも無い。
油で揚げる料理法が広まるのは、市場経済が発達する戦国頃末期からだと言われる。
また、これはNHKなどの教育番組でも同じだが、メディアはやたらに牛乳から作る蘇(そ)や醍醐(だいご)をクローズアップしたがるのだが、当時の日本人の肉食忌避の習慣から言って、牛の乳を普通に食べることはあり得ない。
日本人の肉嫌い、脂っこい味を嫌う嗜好は徹底しており、幕末にフランス人水兵が食事のために農家から買った牛を焼いていたところ、風下にいた農民が肉の焼ける臭いで吐いたという記録が残っているとのこと。
明治時代でさえ、牛肉を食べると牛になるのではないかと恐怖したのが、普通の庶民の感覚であった。
日本では、肉は「薬食い」と言われ、食べたくは無いが、体調を壊したり長命を得たい場合にやむなく食べるものだった。
たとえば水戸の豚肉の味噌漬けも、はっきりと「薬」と位置づけられており、日常食として豚を食べるのはわずかに鹿児島と南西諸島ぐらいのものだった。
実際、「最後の将軍」としてNHKの大河ドラマにもなった徳川慶喜は、薩摩藩から豚肉が献上されていた関係で豚肉ガス期だったようで、、「豚一様(豚を食べる一橋様という意味)」と呼ばれた。
将軍でさえ肉を食べるとからかわれる事から見ても、武家や庶民の間で、どれほど肉食が禁忌とされていたかがよく分かる。
蘇や醍醐も、現代で言うデザートやスイーツのように楽しんだのでは無く、あくまで「薬」として食べていたとみるのが妥当である。
昔の農村では、玄米から栄養素を補うため、ご飯を大量に食べた。(昔話でよく出てくる山盛り飯のルーツである)
ご飯を大量に食べなくてはならないため、味噌や漬け物などの塩辛いおかずが必要だった。
江戸時代末期、日本に来た外国人の栄養学者が駕籠舁(※)の持久力が極めて高いのに驚いた。
にもかかわらず、彼らの食事が、具の無いオニギリと数切れのタクワンだけなのを見て、炭水化物だけでは力が出ないだろうと思い、自分の食事用に持っていた肉を食べさせたところ、逆に駕籠舁はすぐに疲れて走れなくなってしまった。
駕籠舁が「旦那、肉だけは勘弁してください。力が出ない」と訴えたので、元のオニギリに戻したところ、元通り元気に走り出したので、栄養学者は、「どうも日本人と我々とでは、内臓の働きが違うらしい」と思い至ったとのこと。
現実に、日本人の内臓は米を消化するために、腸が長い。
肉体が米に適応するほど、長い年月の間、米を食べ続けているということ。
肉体が変化するだけで、数万年は必要ではないかと思われる。
最近では、米は日本から中国に伝えられたという説まである。
日本の稲作の遺構(遺跡)の方が、中国のものよりもずっと古いのだそうだ。
実際に、日本の方が歴史が古いことを示す遺跡や遺物は多く、島根県では11万~12万年前の石器が見つかっている。
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■日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG06054_X00C13A6CR0000/
島根県出雲市の砂原遺跡の学術発掘調査団(団長・松藤和人同志社大教授)は7日までに、出土した石器36点について見解を再修正し、11万~12万年前の「国内最古」と結論づけた報告書にまとめた。
2009年の発表では、12万7千年前ごろにできた地層と、約11万年前の三瓶木次火山灰でできた地層に挟まれた地層から石器が出土したとして、石器の年代は約12万年前の国内最古と発表した。
その後、火山灰の地層は三瓶木次層でなく、約7万年前の三瓶雲南層と判明。翌年、石器の年代を7万~12万年前と幅を持たせて修正した。岩手県遠野市の金取遺跡でも5万~9万年前の石器が出土していたことから、砂原遺跡の石器も最古から最古級と見解を変更した。
松藤教授によると、石器を含む地層の成分を詳しく調べたところ、層の中に三瓶木次火山灰が含まれていることが分かり、約11万年前と判明、石器を含む層は11万~12万年前と結論付けた。
松藤教授は「考古学の研究であまり試みられなかった地質学の手法も組み合わせて、年代を特定できた。遺跡調査の手法を飛躍的に高める先例になるのではないか」としている。〔共同〕
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この11万~12万年前という測定結果は、実は人類史を覆す大事件である。
なぜなら、現在の定説では、全ての人類が15万年前(正確には約16±4万年前)に生きていた「アフリカのイブ」と呼ばれるたった一人の女性から生まれたとされ、その子孫が世界に広がり、それまでは無人だった日本列島に人類が到達したのは約3万年前だとされているからである。
これが本当なら、日本人の歴史が世界的に見ても群を抜いて古いことを示している。
(そのためか、日本人にしか存在しない遺伝子も見つかっている。そのハプロD2グループという遺伝子は特に沖縄県民とアイヌに多いことが遺伝子調査で分かっており、沖縄から北海道(千島列島)まで日本人が単一民族である証拠だとされる)
実際に、漆は長い間支那大陸の国家から日本に輸入されたと考えられていたが、実は日本が原産であったことが判明している。
(日本で栽培出来るように品種改良された種が、支那大陸へ伝えられた)
また、蚕に関しても日本では古事記に登場するほど歴史が古く、天皇家では蚕を育てるのが皇室の大切な行事として、現在でもテレビで放送されるほどであるが、支那大陸の国家ではそのような話を聞かない。
(蚕は人工的に作られた昆虫で、人間が飼育しないと生きていられない)
これらの事実から、最近では、「漆、絹、米の3種類は、日本から支那大陸に伝わった」とする説も出てきている。
※支那はラテン語(SINA。英語でCHINA。語源は「秦(しん)」)。支那大陸の国家は人種や地域、風土、文化、生活様式が大きく異なるにもかかわらず、非常に似通った性質を有するため、大陸で興亡する国家の「歴史の総体」として、「支那」という用語が使われる。大秦帝国のあった当時のヨーロッパの公用語であるラテン語の名称であり、差別的な意味は無い。むしろ大秦帝国に敬意を表す呼称と言ってよい。(『進撃の巨人』で言えば、支那=人類、中華民国=人、というところか?)
※これは現在の日本で消されている歴史のひとつだが、「中国」とは元は中華民国の略称だった。ところが、2次大戦の後にできた中華人民共和国が陰謀によりその略称を奪ったのである。
※80歳前後の人なら記憶している人も多いが、1949年に中華人民共和国ができてからは、混同を避けるために、新聞などでは中華民国を「中国(ちゅうごく)」、中華人民共和国を「中共(ちゅうきょう)」と表記していた。たぶん、若い人はこの事実を知らないはず。
※中華人民共和国は、同じ共産国家であったアルバニアに「中華民国の権利を中華人民共和国に移すべきだ」と発議させて、中華民国の戦勝国としてのすべての権利を盗んだ。これを「アルバニア決議」という。(ユミルが巨人の力を盗んだようなものか) これを不服として中華民国は連合国から脱退した。
※よく中国大陸という名称が使用されるが、これも間違い。中華民国は日本が協力して1912年1月1日に建国したが、支那の長い歴史から見ればつい最近のことである。(当時、アジアでほぼ唯一の独立国であった日本は、独立国を作るための強力なノウハウを豊富に持っていた)
※中華民国は大陸の一部でしかなく、すぐに分裂して無政府状態となり、列強諸国に分割統治されてしまう。後に、日本は分裂した中華民国政府のうち、汪兆銘政権(南京国民政府)と同盟を締結。
※当時は、米英イタリア、フランス各国もそれぞれが選んだ政府と事実上の同盟関係にあり、不平等条約を結んでいたが、そのなかで最初に不平等条約を撤廃したのは日本と汪兆銘である。(1943年10月30日、「日本軍中華民国間の同盟条約(日華同盟条約)」)日本の行動を見て、列強もあわてて租界返却や治外法権撤廃を実行した(1943年)。
※ちなみに、汪兆銘政権は反共産主義であり、共産主義を中華民国に侵入させないことを目的としていた。汪兆銘が正しかったことは、不幸にも毛沢東以降の共産党による大虐殺や弾圧によって証明された。
※中華民国は歴史的にも支那大陸を代表する国家とは言えず、領土的にも「中華民国大陸」と呼ぶのは歴史や事実に反する。同様に、「中華人民共和国大陸」というのもおかしい。(そもそも、「人民」も「共和国」も日本語である)
※ただし、日本では「中国への異常かつ過剰な配慮」があり、『からくりサーカス』(藤田和日郎・著、小学館少年サンデー連載)では、かつて「東シナ海」を「東中国海」と表記したことがある。日本では戦前まで東支那海、「東中国海」は戦後の一時期にのみ使用され、現在は東シナ海と表記する。現在では、「東中国海」は韓国でのみ使用されている。中華人民共和国では国内向けに「東海(トンハイ)」、国際的には「East China Sea」。
そもそも西暦1841年には、中華民国(1912年建国)も中華人民共和国(1949年建国)も存在しない。
パンに入っている「巨人に関係する何か」を摂取することで、人類は徐々に巨人化している。
この「何か」を、ここでは仮に「巨人酵母」と呼ぶ。(ナノマシンの可能性もある)
ある特殊な血筋の人達は、パンを食べて巨人化した人類の記憶を操作することができる。
たとえば、獣の巨人のように人類を巨人化させ、自分の命令に従わせることもできる。
これは、巨人がもともと命令に従うように作られた存在であることを示している。
ただし、体内に蓄積された巨人酵母の量によって、巨人化した時の大きさや形態、命令への服従の度合いが変化する。
今のところ、体内の巨人酵母が多いほど巨大な体になり、命令にもよく服従すると考えられる。