(2011/04/15)
高岡教区 災害復興支援ネットワークより 活動報告
4月11日~13日 能登教区災害ボランティア委員会と合同での現地活動報告です。(参加者 能登教区6名 高岡教区6名
三条教区1名)
4月11日 新潟市内にて、能登教区災害ボランティア委員会と合流
4月12日 陸前高田市にて、
東京教区、仙台仏青と合流後、被害に合ったお寺での仏具等の捜索作業
4月13日 午前 被害に合ったお寺での仏具等の捜索作業 午後 石巻市での仙台仏青のBOP活動を視察
感想 陸前高田市では、甚大な被害に言葉を失うばかり。とても今後を考えられる余裕などありませんでした。まさに「戦後」に戻った風景でした。
高岡教区 災害復興支援ネットワークからのおしらせ(2011/04/05)
4月11日~13日の日程で
能登教区 災害ボランティア委員会と合同で現地入り予定。
救援物資と参加希望者は、各々団体内で行っている為、募集等は行っていない。
有縁の皆様へ 高岡教区 災害復興支援ネットワークです。(2011/04/01)
3月28~30日までの現地報告です。
3月28日午前11時 ボランティア委員会の方と合流。午後2時 新潟県長岡市で三条仏青と合流。避難所での炊き出しの打ち合わせに同行。午後4時 山形県鶴岡市周りで山形市内へ。一泊。
山形では、異様な雰囲気でまさに「自粛ムード」節電、ガソリン不足、物資不足でした。 3月29日朝、山形教務所へ行き、お話とご相談、その後仙台教務所へ。所要時間1時間程度。午前11時 仙台で仙台仏青の方と合流。午前12時 仙台市内 4カ寺をまわらさせていただき、被害状況を調査。午後 3時 仙台教務所にて、東京教区4名の皆さんと合流。打ち合わせ。午後 6時 仙台仏青、山形仏青、東京教区、有縁の方々(避難されている寺族)と現状報告と今後へ向けての会議
3月30日石巻市へ 仙台仏青の活動(BOP・子どもたちにお風呂を入れる)に参加その後、帰路へ
1所感
まずは、仙台仏青並びに仙台教務所員がひとりひとり被災者支援に奔走していただいていました。頭が下がる思いでした。また石巻市での災害現場をみると、絶望感と喪失感しかありませんでした。でも、住民の皆さんは、迷いながらも力強く、生きている姿をみせていただいた。山形、宮城県では、まだまだガソリンの供給がすくなく、石巻市でもガソリンを求めて、長蛇の列。また物資の配給も必要でした。ライフライン・燃料問題はもうしばらく、時間がかかりそうでした。
2今後の活動への提案
色々な皆さんから新しいアイディアをいただきますが、まずは仙台仏青や仙台教務所へ負担のかからない支援、また避難者の受け入れを山形、新潟、富山、石川、関東周辺等の諸県でおこなわれ、その避難者支援へ各仏青や各教区が動き出しています。そこへ要望や負担がかからない形での自己完結型の支援での配慮が必要かと思われます。自分たちで責任をもち、自分たちで情報収集や相談もし、自分たちで行動する。例えば、物資を送る事も輸送することも送る側の責任で送る。他教区や仏青に負担をかけない形。そのようなことが、中期支援活動では、一番配慮しなければいけないことかもしれません。みなさん、法務や仕事を抱えながら支援をしています。
3各仏青、委員会等、各団体の代表の皆さんへ
今回は、石巻市にいってきました。そこには、まだ建物は、残っていましたが、ものすごく悲惨な状況でした。テレビ等報道では、気仙沼、南三陸町等では、建物自体が残っていおらず、町自体が消滅しています。そして、まだまだ支援が必要なところ、ボランティアが行きとどいていないところが沢山あります。その前に、私たち僧侶は、この悲惨な状況を、月参りや法務を休んででも、各1人1人が自分の目で、しっかりと見ないといけないと思いました。この「絶望感」「喪失感」をみておくことが同じ時代に生きている私たちの責任だと。もちろん、地元での避難者支援もとても大事な事で、責任もあります。
今後、高岡教区 災害復興支援ネットワークでは、「とりあえず被災地へ」というテーマで行動や支援を行っていけたらと思っております。
今後の予定 4月4日 午後7時より 高岡教務所にて報告会・会議・学習会「この原発の事故について」京都教区 長田浩昭さん
(2011/03/27))
3月26日 19:00 高山教務所にて
高山若手有志会第1回会議
集まるようになった経緯について
先発陣の現地状況報告
本山ならびに
各教区の動き
4月10日に「東日本大震災を心に刻む集会」を開催することを決定。
教区発行新聞「ひだご坊」の発行日の繰上げについて
今後のボランティア計画について
次回会議日程について
最終更新:2011年04月15日 18:20