玉串(たまぐし)



 神道の諸祭祀に、神職その他の関係者が神霊などの前に、誠意を表わすために捧げる垂しでを着けた榊の枝をいう。上古より行われ、現時は仏教における焼香に対して、神道作法の一特色をなしている。最初は神霊を宿らせるための一形式であって、今も尚その意を受けて、神人融合の一表現のしるしとして捧げる作法と解する考え方もある。
尚、一般には直接、神前に捧げるが、後には神社の瑞垣や鳥居の柱などに取り付ける場合もあり、さらにお守りなどの神札の意味で、○○神社太玉串と称して授与しる場合もある。

  • 語義と由来
 玉串を神に捧げる作法は、神籬ひもろぎとも関連して、古くから行われた神事と思われる。その文献上の起源としては、天岩戸の古事において示された太幣帛ふとみてぐらに基づくものということがほぼ定説である。即ちその時神々が思兼神おもいかねのかみに思い図らせた天照大神招請の一施設として、
天香山の五百津真賢木いおつのまさかきを根こじに抜じて、上枝ほつえに八尺勾璁やさかのまがたまの五百津の御統みすまるの玉を取着け、中枝なかつえに八尺鏡やたのかがみを取かけ、下枝しづえに白和幣しらにぎて、青和幣あおにぎてを取垂しでて、此の種々くさぐさの物は、布刀玉命ふとたまのみこと、布刀御幣ふとみてぐらと取持ちて、天児屋命あめのこやねのみこと、布刀詔戸言祷白ふとのりとごとねぎまおして
と大神の出御を仰いだという神話(古事記)のうちに見える。その榊の装いがやがて太玉串と見られ、その美称を略した玉串もこの故事に由来するのであろう。それは神霊を招きまつり坐せまつる、古くからの重い信仰形式であったと思われる。それでこのような鏡や玉を招ぎし鏡、招ぎし勾玉と称したのであろう。

 この神に捧げ供え奉ったものだという性質から考えて、本居宣長は玉串というのは手向串たむけぐしの意であろうと説いている(記伝巻八。鈴木重胤の中臣寿詞講義。大槻文彦の大言海)。串はそれを刺し立てる木竹や樹皮のことであるが、玉については、また玉などを取着けたから玉串というのだという説(飯田武郷の日本書紀通釈巻八―賀茂真淵、平田篤胤の説引用。橘守部の雅言考)と、御霊を招き寄せるから、その宿りたまう料で、霊串の義であると解する説もある(六人部是香の篶能玉籤初編巻二の説は、神霊のやどりまさん料として強調し、霊串の義という見解のようであるが、その著順考神事伝巻五には、総て物の美麗さを褒めて玉というとの説を明記している)。また更に単なる美称としてその意義を解する著もある(小山田与清の三樹考)。そして、この最後の説をとる与清は玉という美称のつく種々の例を挙げている。蓋し篤胤などの説くように、本来は玉を着けたものをいい、後には玉を着けず、木綿ゆう(垂)を着けて神前に捧げるものを古えのままに玉串と称したのであろう。

前述したように、玉串とは、また太玉串とも称するが、それらは単に美称を重ねるだけでなく、その名の如く華麗な玉串であり、特に重要性を有する場合の用語であったこともあろう。而して一に八十玉籤やそたまぐしというのは、その枝葉の繁れるものも、又その玉串の数の多いことを意味したこともあろう。日本書紀神代巻上に「山雷者やまづちのかみには、五百津の真坂樹いおつのまさかきの八十玉籤を採らしめ、野槌者のづちのかみには五百箇野薦いおつのぬすすきの(一本篶すず)八十玉籤を採らしむ」とある。玉串の性質、種類を考察する資料ともなろう。

  • 神道祭祀と玉串
 祭祀とその伝統を殊に重んじる伊勢神宮に在っては、古くから祭祀形式も継承され、また古い世の文献や神事に存する祭祀が伊勢の古風にその起源を有する場合もあろうが、玉串については、神宮には格別の伝来がある。即ち大神宮儀式帳や延喜大神宮式などに、古くから玉串の用途、また玉串内人うちんど、玉串御門、及び玉串行事のことなどが伝えられている。而して近世学者の諸書に引用してあるように、大神宮式には「著木綿賢木、是名太玉串」と見えているが、皇大神宮儀式帳には、太玉串の他に天八重榊のことが見えている。これについて、鈴木重胤の祝詞講義巻十三(伊勢大神宮六月の月次祭の条)には「神代紀に「使山雷者採五百箇真坂樹八十玉籤」と有るは、彼の玉鏡を懸ける料の八重榊と、神等の進たてまつれる太玉串との料なり」と解し、儀式帳の祈年祭の条に見える太玉串については、「大前に進る止事やんごと無くて重き大御幣おおみてぐら」なり」と説明しているが、さらに「八重榊は神等の御霊を寄給はむ料、太玉串は神の御前に捧る幣なりけり」と述べている。尚つづいて神名秘書にある皇孫降臨の記事に関連して、「八重榊は皇大神の御形代みかたしろを懸奉りて、布理奉り、太玉串は其に覆ひ隠し奉りて、供奉仕奉れる由なり」と解釈している。

 このように玉串は古くから専ら神に捧げられ、その料として、主として「さかき」が用いられ、自然に転じて単なる榊の枝を玉串と称することにもなったが、その「さかき」が古くは賢木、栄樹、坂樹などと書かれているうちに、いつしか一般に榊の字を用いるようになった。この樹木に関しては近年世、国学者の間に種々の研究が試みられ、語義については栄樹の意で、もと広く招霊木おがたまのき、桂などを称する名称であるという解釈が一般的であるが、小山田与清の三樹考にはこれ等と多少異なる詳しい見解も見える。






最終更新:2009年05月01日 21:24