〒221-0044 神奈川県横浜市神奈川区神奈川2-9-1
京浜急行線、神奈川新町駅より徒歩1分
- 御祭神
- 宇迦之魂命うかのみたまのみこと
- 明治天皇めいじてんのう
- 日本武尊やまとたけるのみこと
- 祭事
- 歳旦祭:1月1日
- 鏡開きの神事:1月15日
- 祈年祭2月17日
- 節分追儺式:2月節分(横浜市無形民俗文化財)
- 例祭:8月8日近い土曜日
- 例祭:8月9日近い日曜日[ 神幸祭 ]
- 新嘗祭:11月23日
- 大祓:12月31日
- 除夜祭:12月31日
- 餅つきの神事:12月最終日曜日
- 月次祭:毎月1日
笠䅣稲荷神社かさのぎいなりじんじゃは天慶年間 (938~947) に、淳和天皇勅願所浦島院勧福寿寺の僧侶が隣域の山腹 (稲荷山) に社殿を建立し、伏見稲荷大社の御分霊を勧請したことが創祀と伝えられ、同寺の守護神、附近一帯の産土神として崇敬を集めていました。文永11年、蒙古来寇の折りには、鎌倉の執権北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納して、国家の安泰を祈願しました。戦国時代に兵火に罹災してしまったものの、永禄2年9月19日に再興なって大祭を行い、元禄2年9月19日には稲荷山の中腹より山麓に遷座する運びとなりました。これより神威益々加わり、社前を通行する者の笠が自然と脱げて地に落ちたことから、「笠脱稲荷大明神かさぬぎいなりだいみょうじん」と称されるようになり、後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し、禾に尊い皇を添えて「笠のぎ稲荷大明神」と改称しました。
明治2年には旧社地が京浜間の鉄道敷設用地に接収されたため現在地に移り、更に霊験あらたかとなって、同17年9月25日、村社に列し、大正10年9月17日、神饌幣帛供進社に指定されました。
大正12年、大震災により社殿が半壊に及び、昭和20年5月29日の横浜大空襲には、社殿・神宝類の悉くを焼失する憂目を見たものの、終戦後いち早く仮社殿を再建しました。
昭和54年、新形式の社殿の完成を見、12月1日、遷座祭が厳かに斎行され、平成元年、「御社殿造営十周年記念大祭」を奉仕するに到りました。
- 文化財
- 板碑(鎌倉時代末期)[横浜市有形文化財]
- 節分追儺式(2月3日)(横浜市無形民俗文化財)
→「節分追儺式」は、宮中の追儺式に倣った「鬼やらい」の神事です。年男の方相氏ほうそうしを中心に、鳴弦めいげん・儺人やらいびと・雅児などが各町内を練り歩き、「梓弓つま引く夜半の遠音にも鬼追うほどに春立ちにけり」と和歌を唱え、弓の弦を弾き豆を打って、悪鬼邪気を祓います。
"特殊信仰"
古くより「かさのぎ稲荷さん」に参詣すると、カサ(性病・婦人病)が拭えるという伝承があります。
病気にかかった女性は、土団子を作って神前に供え、お百度を踏んで祈願をし、そして霊験を得て病気が治ると、
改めて粢団子を作って「お礼参り」をするという習慣が今日でも残っており、殊に病気平癒のご神徳が優れています。
最終更新:2009年04月27日 23:56