久能山東照宮(静岡県)

  • 名称
 久能山東照宮(くのうさんとうしょうぐう)

  • 所在
 〒422-8011 静岡県駿河市駿河区根古屋390    
  • 交通



  • 奉仕者




  • 社格
 <旧社格>別格官幣社(明治21年)



  • 御祭神
 ○贈正一位 徳川家康公(東照公)

  • 相殿
 ○贈正一位 豊臣秀吉公
 ○贈正一位 織田信長公


  • 摂末社
 ○ 愛宕神社
 ○ 稲荷神社
 ○ 久能神社
 ○ 日枝神社
 ○ 厳島神社
 ○ 竃神社
 ○ 駿河稲荷社



  • 祭事
 ○ 例  大  祭 : 4月17日
 ○ 春 季 大 祭 : 2月16日(具足祭ぐそくさい)2月17日(大祭)2月18日(講社祭)
 ○ 秋 季 大 祭 :10月17日
 ○ 月  次  祭 :毎月1日、17日
 ○ 月 次 誕 辰 祭 :毎月26日
 ○ 愛宕神社例祭  : 1月24日
 ○ 稲荷神社例祭  : 4月9日
 ○ 久能神社例祭  : 5月18日
 ○ 日枝神社例祭  : 6月15日
 ○ 厳島神社例祭  : 6月17日
 ○ 竃 神 社 例 祭 :12月17日
 ○ 駿河稲荷社例祭 : 2月8日




  • 由緒
 御祭神の家康公は天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)に生まれ、260年に渡る江戸時代の礎を打ち立てられた。
晩年は駿府城に隠居されたが、元和2年(1616年)4月17日75才で薨去。御遺命及び金地院祟伝や梵舜の進言により、唯一神道でもって久能山に葬られた。同年12月に社殿が竣工して正遷宮鎮座祭が行われ、東照宮と称した。
 その後、天海の主張により家康公の神霊は一実神道で祀られることとなり、元和3年2月に東照大権現の神号勅許を賜った。家康公の遺骸は同年4月に日光山に移遷されたが、元和6年3月には第二代将軍家忠公から三千石の朱印領を付され、旧久能城城主榊原照久が神主職となった。
 正保2年(1645年)宮号が宣下されて東照宮と改めた。



  • 久能山の歴史
 史跡久能山は日本平と共に太古海底の隆起によって出来たもので、長い年月の間に浸食作用等のため堅い部分のみ残り、現在のように孤立した山となったが昔は日本平と続いていた。高さ270m前面は眼下に駿河湾を見下ろし、東は近くに伊豆半島を西は遥かに御前崎を一望できる眺望である。久能山は推古天皇の時(西紀600年頃)久能忠仁くのう ただひとが始めて山を開き一寺を建て観音菩薩を安置し、補陀落山久能寺と称したとあり、久能山の名称もこれから起こったと思われる。
 その後、僧行基を始め多くの名僧等が相次いで来たり住み、建物の数330坊も立ち並んで非常に隆盛であったが、嘉禄年間(1225年頃)山麓の失火によって類焼し昔の面影はなくなったのである。永禄11年(1568年)武田信玄は当山が要害であることを聞き、久能寺を近くの北矢部(清水市 今の鉄舟寺)に移し山上に城砦を設け久能城と称した。天正10年(1582年)武田氏亡びて駿河国一帯が徳川氏の領有するところとなったので久能山も自然徳川氏の治るところとなった。
 元和2年(1616年)4月17日家康公の薨後、久能城を廃止し、東照宮を建立、現在に至っている。



  • 文化財
 ○ 建物
 二代将軍家忠公の命により宰相頼将卿(後の紀州徳川家の祖、頼宣卿)が総奉行となり中井大和守清次を大工棟梁として元和2年5月着工、同3年12月に至る僅か1年7ヶ月という短期間に造営されたもので、権現造、総漆塗、極彩色の社殿は日光東照宮より19年前に造られ、日光と比較すると地味であるが、彫刻、模様、組物などに桃山時代の技法をも取り入れた江戸初期の代表的建物である。
落成当初以来の多くの建造物が現存するが、廃仏毀釈によって明治6年(1873年)に五重塔を廃している。
  ・御社殿:重要文化財
   久能山東照宮の中で最も重要な建物である。元和3年(1617年)に造営された権現造で拝殿、石の間、本殿の三棟からなっており、建物、彫刻など総漆塗、極彩色を施し、桃山時代の技法をも取り入れられた江戸時代初期の代表的建物。
  ・楼門:重要文化財
   前面の後水尾天皇御宸筆の「東照大権現」の額が掲げてあるので勅額御門とも称え、左右に極彩色の随身を、後面左右に生彩色の狛犬と獅子が据えてある。



 ○ 神廟(家康公の墓所)
 御本殿の裏手約50mの所にあり御遺命により御遺骸を埋葬し、西向きに建てられている。塔は高さ5.5m外廻り8mの石造である。参道には諸候奉納の石灯籠が並んでいる。また神廟の裏手には家康公の愛馬が埋められたという家康公愛馬之霊所がある。

  • その他
 ≪久能山東照宮博物館≫
 当宮の所蔵する宝物類はすべて、久能山東照宮博物館(昭和40年設置)に保存展示されている。
宝物類は、家康の薨去後に東照宮へ納められた家康の遺品類、歴代将軍の武具類、将軍や諸大名が寄進した刀剣類、
幕臣や徳川家にゆかりのある人が奉納した書画類など500件(2,000余点中、国宝重要文化財75種185件)を収蔵している。
その内容は、古文書、書蹟、絵画、武具、武器、服飾品、調度品類に分けられる。
 古文書は元和3年(1617年)12月7日の遷宮式に関する宣旨及び太政官符、歴代将軍の社領寄進状・社領安堵状、織田信長黒印状、
豊臣秀吉朱印状など。
 書蹟は御水尾天皇宸翰の神号をはじめ、家康筆の判金請取状・道中宿付、歴代将軍、伊達正宗、徳川義直、本田正信、徳川斉昭などの墨書。
 絵画は重要文化財の「地鎮・安鎮曼陀羅」、家康筆の「鷺図」をはじめ、歴代将軍の描いたもの、天海僧正の賛ある東照大権現像など。
 武具は家康着用の金陀美具足・白檀塗具足・伊予札黒糸威胴丸具足(以上3件は重要文化財)や歴代将軍が着用した具足63領。
 武器は国宝の真恒作の太刀を始め、重要文化財13口の刀剣があり、中でも伝 三池典太光世作の刀は家康の枕刀としてあまりにも有名である。
 服飾品は家康着用のもの、幕府から奉納されたもの、歴代将軍所用の胴着・陣羽織・立附袴などがある。
 調度品は家康が晩年に愛用したものが多く、茶道具、香道具、文房具、薬事関係資料のほかに、スペイン製置時計、コンパス、西洋鋏、
眼鏡など外国から贈られたものもある。

  <拝観時間>
   4月1日~9月30日:午前8時半~午後5時
  10月1日~3月31日:午前9時~午後4時



   ≪東照公御遺訓≫
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し、急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なし。
心にのぞみおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ。
勝つ事ばかりを知りて負くる事を知らざれば害其の身に至る。己を責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
    慶長八月正月十五日                      家康(花押)

 人はただ身の程を知れ草の葉の
      露も重きは落つるものかな
最終更新:2009年04月28日 01:56