赤間神宮

  • 名称
   赤間神宮(あかまじんぐう)
  ≪旧 称≫安徳天皇御影堂、天皇社


  • 所在
   〒750-0003 山口県下関市阿弥陀寺町4-1
  • 交通
   JR下関駅より   バス10分/タクシー5分
   JR新下関駅より  バス20分/タクシー15分


  • 奉仕者




  • 社格
   別表神社
  ≪旧社格≫官幣大社(昭和15年)



  • 御祭神
   安徳天皇



  • 摂末社
   ・大連神社
   ・紅石稲荷神社
   ・鎮守八幡宮
   ・



  • 祭事





  • 由緒と歴史
 文治元年(1185)源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いで平家一門と共に、僅か8歳にして入水崩御した安徳天皇を赤間関紅石山麓阿弥陀寺境内に奉葬。建久2年(1191)朝廷は長門国に勅して御陵上に御影堂を建立せしめ建礼門院の乳母、少将の局命阿尼をして奉仕させ、以来勅願寺として永く天皇の御冥福を祈らしめた。
 明治維新に至るや阿弥陀寺を廃して御影堂を改めて天皇社と称せられ、明治8年10月7日に勅命をもって官幣中社に列し、地名に依り社号を赤間宮と定め、社殿を造営。昭和15年8月1日昭和天皇が勅使を差し遣わされ官幣大社に御列格宮号を改めて赤間神宮と宣下あらせられ、社殿を整備したが大東亜大戦の空襲を蒙り神殿以下悉く焼失した。その後、敗戦に依り復興造営は至難を極めたが、本殿祝詞殿以下御復興に邁進、昭和40年4月御祭神780年大祭を迎え境内を一新した。
境内には竜宮城を模した神門(水天門)があり、4/24の先帝祭の中でもとくに上臈参拝は平家の栄光を偲ばせる行事である。



  • 文化財
<指定文化財>
 ・長門本平家物語
 ・赤間神宮文書(重文)
 ・安徳天皇縁起絵図


<無形文化財>
+ 特殊神事 先帝祭
 毎年、5/2の御祭神安徳天皇御命日を皮切りとして以後3日間に亘り行われる。
 『関の先帝、小倉の祗園 雨が降らねば金が降る(風が吹く)』と古くから俗謡にもある如く祭礼日は数十万の人出で賑わい、下関市の繁栄は往古以来この先帝祭に在ると言われる。其の由来するところ壇之浦に平家滅亡の祭、中島四郎大夫正則(伊崎町、中島家の祖)が郎党を率いて赤間関西端王城山に籠り、再興を謀ったが機運遂に至らず、漁業を営むようになった。やがて例年先帝祭御命日には威儀を正して参拝を続け、今日に至る。
 また多数の女官達、赤間関在住の有志にたすけられ、山野の花を手折りては港に泊る船人に売り生計を立てていた。これも同じく先帝御命日に至ると年毎に閼伽を汲み、香花を手向け威儀を正して礼拝を続く。これが今日の上臈参拝の元である。連綿として廃絶なく今日まで至り、官女に警固、稚児が従い、上臈に禿の随う美しい列立は遠く平安の昔、宮中において行われた五節舞姫の形に倣い、絢爛豪華なる外八文字で進む道中は実に壮観である。




  • その他






最終更新:2009年05月04日 00:24