秋田県護国神社(あきたけんごこくじんじゃ)
〒011-0939 秋田県秋田市寺内大畑5-3
秋田駅から車で15分(駐車場有)
バス:「護国神社入り口」「護国神社裏参道」下車(秋田駅から将軍野線・寺内経由土崎線など)
別表神社
秋田県所縁の英霊約38,000柱
伊邪那岐命
伊邪那美命
例祭日は4/29、10/24
明治2年(1869年)、秋田藩主佐竹義堯が戊辰戦争に殉じた官軍戦没者425柱を高清水丘に祀ったのが始まり。明治26年(1893年)に社殿を焼失するが、明治32年(1899年)、秋田市千秋公園(佐竹城址)に再建・遷座され、秋田県出身の軍人・軍属を合祀して秋田招魂社と称した。昭和14年(1939年)、内務大臣指定護国神社として秋田県護国神社に改称し、翌年、旧秋田城址である現在地に遷座した。第二次大戦後の一時期、「軍国主義施設」として廃止されるのを防ぐ目的で、鎮座地名に因んで高清水宮と称し、この時に伊弉諾尊・伊弉冉尊を合祀してこちらが主祭神ということにした。
戦後は県に関係した軍人、軍属の霊を合祀している。現在、ほとんどの戦没者の合祀が完了し、祭神の数は38,000余柱となる。
平成2年(1990年)7月9日、即位の礼に反対する過激派により社殿に仕掛けられた2つの時限爆弾が爆発し、社殿は全焼した。現在の社殿は平成4年(1992年)9月に再建されたもの。
・桜の名所であり、例年春の例祭の頃ちょうど満開を迎える。
・平成2年(1990年)7月9日、即位の礼に反対する過激派により当社社殿にしかけられた2つの時限爆弾が爆発し、社殿は全焼した(大嘗祭のための神饌を収獲する「斎田抜穂の儀」、その祭場となる神田が秋田県内に選定されていたことが関係していると見られている)。しかし、本殿内に安置されていた神体および霊璽簿は無傷であった。社殿は平成4年9月に再建された。この時期、極左過激派団体によって引き起こされた神社への放火は15都県で25件に上る。
最終更新:2009年05月04日 14:51