食前感謝
- 手を膝の上に置いて静かに座る。
- 道 彦(先導する人)の「端坐、一拝一拍手」の号令の下、食事に向かって一礼し、拍手を一回行う。
- 道彦が「たな~つ~もの~」と一節歌うので、再度
『たなつもの 百の木草も 天照らす
日の大神の めぐみえてこそ』と斉唱。
- 道彦が「頂きます」というので、再度全員で「頂きます」と云う。
食後感謝
- 手を膝の上に置いて静かに座る
- 道彦の 「端坐、一拝一拍手」の号令の下、食事に向かって一礼し、拍手を一回行う。
- 道彦が「あさ~よひ~に~」と一節詠うので、再度
『朝宵に 物くふごとに 豊受の
神の恵みを 思へ世の人』と斉唱。
- 道彦の「ご馳走さま」というので、再度全員で「ご馳走さま」と云う。
- 全員で片付ける。
※1人で食べる際には適宜行う。
ここで詠む和歌は江戸時代の国学者である本居宣長の歌集、『玉鉾百首』に記載のもの。神社では、これを食前食後に唱えてから食するのが正式な作法。
“食前感謝のことば”の意味を説くと、「たなつもの」とは「五穀(いつくさのたなつもの)」、米・麦・粟・黍・豆(諸説あり)で、つまり主食となる食べ物のこと。「百の木草」とは、地上に生えるありとあらゆる植物(食べ物)。「天照らす」「日の大神」は「天照大御神が日を照らしてくださる」こと。総じて「お米をはじめとするありとあらゆる食物の恵みは、天照大御神が日で地上を照らしてくださるお陰で生じるのだから、神恩に感謝して食べよう」という意。
“食後感謝のことば”、「朝夕にもの食うごとに豊受の神の恵みを思へ世の人」の内で「豊受の」とは「豊受大神」のことで、この神は天照大御神の食事を奉仕する神。つまり「食事をするたびに食事の神様に感謝しよう」という意味だ。ここで「朝宵に」として昼が含まれていないのは、昔、日本人の食事が日に2回であったことに因む。
わが国が古に用いた雅称、「豊葦原瑞穂国」「豊葦原千五百秋瑞穂国」が現すように日本の国土は食べ物に恵まれ、そして古から今に至るまで日本人はそれに感謝することを忘れなかった。また天照大御神が下した三大神勅の一つには「斎庭の稲穂の神勅」というものがある。これは「以吾高天原所御斎庭之穂 亦當御於吾兒」、「私(天照大御神)が高天原で稲作を行っている姿のままに地上でも行うように」と稲を授けたもので、今上天皇も吹上御苑内に水田を開かれ、御自らその耕作に従うことでその意を遵守されている。天照大御神が天上において御自ら稲作を行って範を示し、歴代天皇もそれを尊ばれていることからも分かるように、神道即人道(神の道はそのまま人の道)として皇室祭祀や神社祭祀もこれに順ずる形で食べ物、特に食物の豊穣を願い、また実りに感謝する祭事をその根幹としている。日々の日供祭においても、年に数度の大祭においても神前に季節の食べ物を御神饌として備えて収穫を報告し、神恩に感謝する。これは大半の祭祀に共通する点であり、祭祀の基本でもある。
国学者の本居宣長は古典研究とともに、“食事への感謝”が日本人の民族性を語る上で欠くことが出来ない要点であるとして熱心に考え続け、この二首の和歌にはその想いが込められている。
現代日本は飽食の社会と言われているが、今日の神社界は古の人の思いを受け、食事にありつけるという事のありがたさを再度認識して感謝し、この考えをさらに後世に伝えようという目的の下、この作法を行う。
神社神道に限らず、他宗他派においても同様の作法は存在する。また一般の人も手を合わせて「頂きます」「ご馳走さま」と口にすることを食前食後に行う。作法は異なれど、その精神は食べ物の恵みと生産者の労に感謝の意を示すものであり、これらを日本人の美徳として継承していきたい。
最終更新:2009年05月06日 08:31