三峯神社(みつみねじんじゃ)
→旧名「三峯宮」「三峯大権現」
〒369-1902 埼玉県秩父市三峯298-1
車
東京方面から:関越自動車道・花園ICより国道140号線、皆野寄居バイパス経由で約2時間半。あるいは国道16号・入間市より国道299号+国道140号経由で約3時間。
山梨方面から:中央自動車道・甲府昭和ICより国道140号線、雁坂トンネル経由で約2時間半。(大滝村栃本方面からの駒ヶ滝トンネル内は右折不可、一度直進でトンネルを抜けてからUターン)
※ 皆野寄居バイパス、雁坂トンネルは有料道路。
電車
池袋駅から:西武鉄道、特急レッドアローで西武秩父駅まで1時間20分。三峯神社行き急行バスで約1時間30分。あるいは御花畑から秩父鉄道に乗り換え終点の三峰口駅へ、そこから西武バスで三峯神社へ。
八王子駅から:JR八高線で東飯能駅へ、東飯能駅から西武鉄道に乗り換え西武秩父駅へ。三峯神社行き急行バスか御花畑で秩父鉄道に乗り換え、終点の三峰口駅より西武バスで三峯神社へ。
上野駅から:JR高崎線で熊谷駅へ、熊谷駅から秩父鉄道に乗り換え終点の三峰口駅へ、そこから西武バスに乗り換え終点の三峯神社へ。
三峯急行バス:西武秩父~三峯神社。土・日・祝祭日は上下5便、平日は上下3便を運航。
- 西武秩父駅~三峯神社間:大人:900円(小人:450円)
- 三峰口駅~三峯神社間:大人:650円(小人:330円)
- 大輪~三峯神社間:大人:530円(小人:270円)
所要時間:西武秩父駅~三峯神社まで75分
県社・別表神社
伊弉諾尊
伊弉册尊
二十三社
・祖霊社:開山以来の祖霊を祀る社であり、春・秋の彼岸の日と8月15日の年3回祭りが斎行される。なかでも8月はお盆の行事と合わせて、過去1年間に物故した神社の勤山者、氏子総代又各地の三峯講社の関係者や講元、世話人などの霊を合祀する祭りも行っている。
・国常立神社:国土形成の神である国常立尊が奉られる。祭典は11月2日。
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お仮屋神社 |
三峯神社の御眷属、大口真神(お使い神、お犬さま)のお宮。御眷属は深い山中に身をひそめられている為にここを仮のお宮としてお祭りを行うので「お仮屋」と呼び慣わす。今から1900年ほど昔、第十二代景行天皇の皇子日本武尊が東夷御平定の帰り道に山梨県から奥秩父の山々を越えて当山に登り、初めて三峯神社を祀られた時、道案内をつとめたのが山犬でその忠実さと勇猛さによって三峯神社の御眷属に定められたと伝える。お犬さまはその霊力で三峯信仰の中心となり、山畑を荒らす害獣熊・猪・兎等を追い払い、家々を守護しては火防・盗賊除・諸難除の神と崇められている。
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01月01日 歳旦祭・元旦祈願祭
01月03日 元始祭
01月14、15日 御筒粥神事
1月第3、4日曜日 豆入り神事
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概 要 |
豆入り神事では大豆を鍋(ホーロク)で炒る。この出来上がった炒り豆は福豆として供えられ、節分祭にて参詣者によって捲かれる。この豆炒りは一般の方にも参加可能。
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節分 節分祭(ごもっとも神事)
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概 要 |
二月節分の年越行事は、通称「ごもっともさま」と呼ぶ特殊祭事。
宮司以下祭員、年男たちは裃に威儀を正して祭りが執行される。祝詞の中にも五穀豊穣・大漁満足・夫婦円満・開運長寿の願いが込められ、とくに子授けの奇瑞があるといわれるのは、ごもっとも様の効験によるものと云われる。
祭典後、社殿で豆まき神事が行われ、裃姿の年男が三方にのせた福枡の豆を「福は内」の唱えごとと共に蒔かれる。この時、後に控えた添人が、大声で「ごもっともさま」と叫びつつ、巨大なごもっとも様を前上方に突き出す。ごもっとも様とは、長さ1メートル余の檜のすりこぎ棒型のもので、その頭に注連縄をまき、根もとには蜜柑二個をさげた象徴的なもの。
本社が済むと、提灯を先にたて、年男・添人・豆持の一行は摂末社を回り豆まきの行事をくり返す。7時、11時、正午、2時、4時の一日5回行われる。
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02月10日 恵美須祭
02月11日 紀元祭
02月20日 祈年祭
03月20日 一社講社祭・大山祇神社祭
春分の日 祖霊社祭
04月07日 日本武尊神社祭
04月08日 例祭(代々神楽)
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概 要 |
年に二回の大祭がある。春季大祭が4月8日、冬季大祭は12月2日。
4月と11月とはわが国の古い信仰の中で、神祭りの行われる時節だった。4月は山の神が里に降り、田の神となって田畑の守護に当る時であり、11月は再び田畑から山へ帰り、山の神として鎮まる時期という信仰がある。
4月の大祭は「フジマツリ」と呼び、山に登り藤の花を折りとり、神に供え家に飾る。これは山の神祭りの日。太々神楽はこの春の大祭で奉じられる。
一方、12月2日の大祭は秩父神社夜祭り(12月3日)の前日にあたり、それをかけて登拝する信者が多い。
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八十八夜 嵐除祭
05月03日 奥宮山開祭
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概 要 |
禰宜以下2名の神職は朝勤の後、奥宮に向かう。お伴役はそれより早目に出発、道々で注連繩をはり、奥宮にボンテン(幣束)の高竿を立てる。
祭りが済むと祠の前に毛氈をしき、一同座して直会を開く。神酒を頂き、煮しめに小豆飯を食す。
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06月01日 東照宮祭
6月第1日曜日 奥秩父山開祭
06月12日 竃三柱神社祭
06月30日 大祓・道饗祭
07月01日 摂末社祭
07月15日 氷川神社祭
土用丑の日 大日祭
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概 要 |
大山祗神社の祠をにて大皿に高盛りの赤飯とお神酒を供えて奉り、後、この赤飯を撤下す。
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08月08日 薬師神社祭
08月15日 祖霊社祭
08月25日 菅原神社祭
08月26日 諏訪神社祭(獅子舞)
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概 要 |
末社諏訪神社の祭りは未明から始まり、終日舞われる。
獅子頭には獅子のほか狛犬・竜などの形式があり、また竜頭から出たとみられるものに、鹿形式がある。シシの元の意味には鹿が最も近く、東北の「鹿踊り」などを合せ考えると、他の形式も鹿から発生したように思えるが、彫刻の形の発達の上からは必ずしもそうとは言えない。鹿形式はやはり山岳地方に多く、その中で1番発達した典型といえるものがこの頭である。長い枝角をそびやかし、面は茶色に塗っている。袴をつけ、舞庭には筵を敷き、その上で静かに舞う。品のよい舞で、こうした特長をもつ系統を「座敷ザサラ」と呼ぶ。
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旧08月15日 月読祭(十五夜)
二百十日 嵐除祭
秋分の日 祖霊社祭
旧09月13日 月読祭(十三夜)
10月09日 奥宮山閉祭
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概 要 |
祭りの様子はほとんど5月の「山開祭」に倣う。三峰地区ではこの日を「ヤマドメ」と呼び、氏子の祭りを執行する。
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10月17日 神嘗祭・伊勢両宮祭
11月02日 国常立神社祭
11月03日 明治祭
11月20日 恵美須祭
11月23日 新嘗祭
12月02日 冬季大祭
12月12日 竃三柱神社祭
12月23日 天長祭
12月31日 大祓・鎮火祭・除夜祭
毎月01、15日 月次祭
毎月10日 近宮御焚上祭
毎月19日 遠宮御焚上祭
社伝によれば景行天皇の御代、皇子日本武尊の東征の際、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向かう途中に三峰山に登り、伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際に、天皇は上総国(千葉)で社地を囲む白岩・妙法・雲採の三山を賞でて「三峯山」と名付けられ、社には「三峯宮」の社号を授けたと伝える。
降って聖武天皇の御代、国中に悪病が蔓延すると天皇は諸国の神社に病気平癒の祈祷を命ぜられ、三峯宮には勅使として葛城連好久公を遣わして「大明神」の神号を奉られた。
また文武天皇の御代、修験の祖たる役小角が流罪された伊豆国から三峰山に飛来して修業をし、この頃から三峯山に修験道が始まった。
三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を雲取山と呼んでいる。
天平17年(745)には国司の奏上によって、月桂僧都が山主に任ぜられた。
更に淳和天皇の御代には、勅命によって弘法大師空海が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建てて安置したと縁起には伝えられる。
こうして徐々に仏教色を増し、神仏習合の社となり、神前奉仕も僧侶の手によって執り行われることが明治期まで続いた。
中世においても東国武士を中心に篤い崇敬を受けて隆盛を極めたが、村上天皇の御代、正平7年(1352)に足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏の怒りに触れて社領が奪われ、山主も絶えてその後、衰退期が140年も続いた。
後柏原天皇の御代、文亀2年(1502)にいたり、その荒廃を嘆いた修験者の月観道満は27年もの年月をかけて全国を行脚し、復興の資金を募って社殿・堂宇が再興した。
後、天文2年(1533)に山主は上京して聖護院の宮に伺候し、当山の様子を奏上のところ、宮家より後奈良天皇に上奏され「大権現」の称号を賜って、坊門第一の霊山となった。
以降、聖護院派天台修験の関東総本山とされ、本堂を「観音院高雲寺」と称し、三峯大権現と呼ばれた。
更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となって、以後、当山の山主は十万石の格式を以て遇された。
現在、社紋として用いている菖蒲菱は花山院宮家の紋である。
この様に天台修験の関東総本山として繁栄した当山も、宝永7年(1710)年に山主覚雄が没すると以後10年間も無住となり、宝物も散逸、社殿と堂宇にも破損が見られるようになった。
やがて、享保5年(1720)に日光法印という僧によって当山も次第に復興され、以後、六里四方を支配し、今日の基礎が築かれた。秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし、「お犬さま」として崇めるようになったのもこの頃からである。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行った。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された。
徳川期には将軍家・紀州家の崇敬があり、殊に紀州家の献上品は社宝となっている。
また、新田開発に尽力した関東郡代伊奈家の信仰は篤く、家臣の奉納した銅板絵馬は逸品と名高い。
明治期に入ると神仏判然令により寺院を廃して「三峯神社」に改称、現在に至る。明治16年には県社に列した。
観覧時間:午前9時~午後4時
休館日 :毎週火曜日・年末年始を含む冬期間(12月~3月)
入館料 :一般は300円、中学生までは100円(※身体障害者手帳をお持ちの方は無料)
「三峯山詣」
→ 主として三峯講の人たちの登拝、参籠に関する資料を展示。
三峯神社の神の使い、いわゆる御眷属は狼で、一般にオイヌサマと称されている。山里では猪鹿除け、町や村では火防・盗賊除けの霊験が語られ、信州や甲州、また関東の村や町、それに江戸の町人たちがオイヌサマの霊験を信じ、講社を組織してこのお山に登拝した。
江戸からの三峯登拝路のひとつを名所案内記風にまとめた「三峯山詣」(天保6年)、諸国代参帳、饗応記録帳、講社登拝記録をはじめ山内の様子を書き綴った「日鑑」、また講社の人たちが山上参籠の折に飲み比べをした「東海道五十三次蒔絵盃」などを展示。
「三峯山の宝物」
→ 宝蔵に収められていた宝物類、主として修験の山として栄えた観音院時代の資料を展示。
数多くの記録文書や書画類、崇敬者より奉納された品々、また神仏混淆時代の仏像仏画経典などは、永らく人の目に触れることなく蔵の中に眠っていた。
・銅版絵馬(写真上)、納札、懸仏(写真下)、雲版など。
・木造十一面観音立像、木造役行者二鬼坐像、木造不動明王立像、銅像歓喜天像など。
・不動明王二童子像(絹本著色)、三井寺諸尊像(絹本著色)、両界曼荼羅図(絹本著色)、不動明王像(紙本版画著色)など。
「秩父宮家と三峯山」
→ 秩父宮家御下賜の品を中心に、秩父宮家ゆかりの資料を展示。
秩父宮殿下が御殿場(
静岡県)の別荘で自らお焼きになった菓子皿、殿下16歳の時の書初、宮家御下賜の書棚(写真)、文台、飾皿、陶製唐獅子など。また、ロビーには、彫刻界の巨匠北村西望氏、及び法元六郎氏制作の秩父宮両殿下のレリーフを設置。
客 室:全室和室(内トイレ・内風呂・内洗面所なし) 各階に洗面所付トイレが男女各2ヶ所
客室数 :新館48部屋、別館11部屋
収容人数:新館223名、別館117名
備 付:テレビ、冷蔵庫、電話、浴衣、歯ブラシ付タオル、バスタオル
チェックイン:14時半
チェックアウト:10時
三峯神社に併設された宿泊施設。3~6人用と18~21人用の2タイプの部屋を用意し、三峯講での利用、また一般参詣者の宿泊も可能。
温泉「三峯神の湯」、300名収容の大広間、255畳の大宴会場「報徳殿」等も用意があり、少人数のグループから団体様まで、また会議・研修等の利用できる。
秩父市大滝では平成4年に温泉の掘削に成功し、興雲閣にも「三峯神の湯」として温泉を引いた。ナトリウム-塩化温泉で、含有成分の種類が多く、また、含有量も豊富。
効能は●慢性消化器病●慢性婦人病●神経痛●疲労回復●花粉症●アトピー性皮膚炎●アレルギー性呼吸疾患
日帰り入浴のみも可能。
利用時間:午前10時半~午後7時
料 金:500円(タオル付)
本 殿
→ 寛文元年(1661)11月、中興第六代龍誉法印が、願主となって造営した一間社春日造りの建物。石積みの基壇上に立ち、正面と両側に縁を回し、公欄を付け、屋根は銅板葺きで、総体的に木割が太く堂々とした風格を備えている。
また全体に漆が塗られ、斗組・虹梁・柱頭などには極彩色が施された美麗な本殿。
昭和36年(1961)に改修復元。
埼玉県指定文化財。
拝 殿
→ 寛政12年(1800年)建立。昭和37年(1962年)改修。
正面に掲げた大額は有栖川宮一品親王殿下の御染筆。 内部の格天井には奥秩父の花木百数十種が画かれ、左右脇障子に竹林七賢人の透彫があある。
社務所
→ 大正天皇即位の礼を記念して大正12年に建築された旧社務所(現、斎館)に代わり昭和59年に建立。
興雲閣
神楽殿
→ 神楽の行われる殿舎。
太々神楽、又は里神楽といわれる御神楽(当神社では氏子滝の沢神楽連奉仕)は日本の神話をもとにした舞劇で、いわゆるお神楽衣装をつけ、面をかぶって笛太鼓に合わせて踊るもの。
三峯の神楽は霧の流れる境内にひびく笛と太鼓の調和よく、その巧妙な撥さばきによって彼の宮本武蔵が二刀流を開眼した(吉川英治著 小説 宮本武蔵)と伝えられる。
この神楽殿は明治41年5月、一の鳥居及び保存金と共に東京木場竪川講社から奉納された。
恒例神楽奉奏日…4月8日、5月8日
小教院
→「当山大縁起」によると、天平8年(736)国中にが流行して国民が大いに苦しんだ。天皇は大変御心を悩まされて、諸国の神社に病気平癒を祈られました。この時皇后は、諸国の霊山に観音を祀られ、国民の上を祈願された。その折、三峯神社にも郡領に命じて別殿を造立し、観音像を安置された。これが今日の「小教院」と呼ばれる建物の創まりとなる。
この三峯神社別殿は、やがて「三峯山本堂」として、ある時は天台宗に属して「高雲寺」と号し、また真言宗に移っては「観音院」と称え、更に修験はこれを「平等坊」と呼んだ。山主は十万石の格式をもって、古くは十里四方あるいは六里四方、降っては五十二町四方の地を支配した。
明治の神佛分離によりこの本堂は閉ざされ、政府による国民教化、大教宣布運動にそって「小教院」と呼ばれ、この運動の終了後は、宿坊として老朽化するにまかされていた。
現在の建物は元文4年(1739)当山再中興日光法印の代に再建されたもので、平成3年(1991)御大典を記念し歴史的建造物としての保存を中心に考え改修工事を行い、12月に工事終了。
内部には24畳の「広間」、12畳の「仙人の間」、8畳の「金の間」がある。
現在、茶房・茶室として稼働。
報徳殿
→ 報徳事業五か年計画の一環として昭和39年9月竣工された大講堂。
鐘 楼
→ 「洪鐘」という字をあてる。明暦3年(1657年)に南部山城守重直により奉納されました。この鐘は江戸時代までの神仏習合の名残り。
明治時代以降は時の鐘として使用し、現在は朝夕6時に衝かれている。 すぐ脇に天然記念物の「三峰モミ(別名ヘソモミ)」がある。
えんむすびの木
日本武尊銅像
→ 神社の創始者とされる日本武尊の銅像。 本体5.2m、地上15m。
また周囲には野口雨情、斉藤茂吉らの歌碑が多く点在。
大山倍達の碑
→ 極真空手の創始者、故大山倍達氏(1923~1994年)は、ここ三峯神社で山篭りの修行を幾度も敢行。
1989年には神社から感謝状を贈られている。この碑はその後門下生により建てられてもの。
遙拝殿
→ こここから妙法ケ岳山頂の奥宮を遥拝する。また近くに森玄黄斉作のご神犬像がある。
随身門
→ 元禄4年(1691年)建立。昔の仁王門にあたり、明治初年仁王像は鴻巣の勝願寺へ移された。
現随身門は寛政4年(1792年)再建されたものを、昭和40年(1965年)春に改修。扁額は増山雪齋の筆跡。当初は青銅鳥居(拝殿正面)付近に建立されていたという記録が伝えられている。
秩父宮記念 三峯山博物館
秩父宮記念館
→ 昭和3年(1928)6月に起工し、昭和6年(1931)に完成。宮号発祥の地に因んで建設された。昭和8年(1933)8月に両殿下が6日間の御仮泊された。
三峯神領民家
→ 神社南側に開ける傾斜地に集落があるが、江戸時代にはここは三峯神社の神領とされ、住民は神社に年貢を納め、神社の賦役に従事していた。昭和54年に実際に使われていた民家の寄贈を受け、ここに移築、復元したもの。
三峯神社奥宮
→ 寛保元年(1741年)創建。
雲取山、白岩山と並ぶ三峯三山の一つである妙法ケ岳山上 に鎮座。神社から徒歩1時間半程度。
5月3日には山開き、10月9日には山閉が行われる。
東照宮
→ 天文2年(1533)に建立された旧社殿を移築し上舎とした。室町時代の建築様式を残した当社最古の建物。現在の扉は旧本殿内陣の扉で「八重の御扉」と称し、天正4年(1576)武田信玄の寄進と伝えられる。
三峯山ロープウェイ
→ 昭和14年に秩父鉄道により三線交走式で建設されが、登山者の増加に伴って昭和39年に四線交走式71人乗りに改装された。
全長1900m、標高差680m。山麓の大輪から山頂駅までおよそ8分。片道950円、往復1650円。平成19年12月1日(土)に廃止。
大滝村村営駐車場
駐車料金:大型・貨物4t以上…1,500円、マイクロバス・貨物2~4t…1,000円、普通・軽…500円、自動二輪・バイク…200円
収容台数:第一駐車場:大型・マイクロ…21台、普通車…240台収容
第二駐車場:普通車…42台収容
開門時間:平日…24時間、金曜と土曜のみ…8時~18時
三峯ビジターセンター
女人坂
八棟灯籠
→ 安政4年(1857)の建立。大型の木灯籠は大変に珍しい。彫刻は精緻巧妙。昭和48年(1973)春に修復。
青銅鳥居
→ 弘化2年(1845)に建立。江戸木場堅川講奉納により、初代塩原太助の名も刻まれている。
水舎
→ 嘉永6年(1853)に4年の歳月をかえて江戸木場堅川講の奉納により建立。八棟灯籠と同様、精緻な彫刻が特色。
最終更新:2009年10月08日 17:19