二十二社
平安時代中期から中世半ばまで朝廷の格別の崇敬を受けた以下に記する二十二の神社をいう。いずれも京とその近辺に鎮座し、祈雨・止雨・天変地異・国家・朝廷などの臨時祭、恒例の年二回の祈年穀奉幣において朝廷からの祈願と奉幣を受けた。
○上七社
・伊 勢:伊勢国(三重県伊勢市)、式内社。内宮(伊勢市五十鈴川上)と外宮(伊勢市山田原)を合わせて一社とする。
・石清水:山城国(京都府八幡市八幡高坊)、式外社。
・賀 茂:山城国(下賀茂…京都府左京区下鴨泉川町、上賀茂…京都府北区上賀茂本山)、式内社。賀茂別雷神社と賀茂御祖神社を合わせて一社とする。
・松 尾:山城国(京都市西京区嵐山宮町)、式内社。
・平 野:山城国(京都市北区平野宮本町)、式内社。
・稲 荷:山城国(京都市伏見区深草藪之内)、式内社。
・春 日:山城国(奈良市春日野町)、式内社。
○中七社
・大原野:山城国(京都市西京区大原野南春日町)、式外社。
・大 神:大和国(奈良県桜井市)、式内社。
・石 上:大和国(奈良県天理市布留町)、式内社。
・大 和:大和国(奈良県天理市新泉町星山)、式内社。
・広 瀬:大和国(奈良県河合町川合)、式内社。
・龍 田:大和国(奈良県三郷町立野南)、式内社。
・住 吉:摂津国(大阪市住吉区)、式内社。
○下七社
・日 吉:近江国(大津市)、式内社。
・梅 宮:山城国(京都市右京区)、式内社。
・吉 田:山城国(京都市左京区)、式外社。
・広 田:摂津国(兵庫県西宮市)、式内社。
・祇 園:山城国(京都市東山区)、式外社。
・北 野:山城国(京都市上京区馬喰町)、式外社。
・丹 生:大和国、式内社。丹生川上神社中社(吉野郡東吉野村)・丹生川上神社上社(吉野郡川上村)・丹生川上神社下社(吉野郡下市町)の三社を合わせて一社とする。
・貴布禰:山城国(京都市左京区鞍馬貴船町)、式内社。
成 立
二十二社の成立については従来、康保3年(966)に十六社が固定し、ついで順次神社が加列され十九社⇒二十社⇒二十一社⇒二十二社になったという吉田兼倶の五段階説が一般的であったが、今日では否定論が大勢である。しかし、二十二社が段階的に定まったのは確かで、平安中期の9世紀末に伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日・大原野・大神・石上・大和・住吉・広瀬・龍田・丹生川上・貴船の十六社がある程度固定化され、次いで広田、その後10世紀末~11世紀初頭の一条天皇の御代に吉田・梅宮・北野・祇園が順次加列され、さらに院政期になって日吉が加えられて成立したようである。平安時代末期の平氏政権下において厳島神社の加列が図られたことがあったが実現せず、以後はそのまま固定で存続した。
二十二社はその多くが式内社で大社であったが、石清水・大原野・吉田・祇園・北野など五社は式外の神社である。このような従来の官社制の枠に必ずしも捉われない特定の神社が、朝廷から格別の崇敬を受けるようになった理由については、未だ全てが明らかにされている訳ではない。ただ、平安時代に進んだ律令体制の変質により朝廷の地方支配体制が変更を余儀なくされ為政者である天皇・貴族の関心が畿内に集中したこと、同様の理由から官社制が動揺しその再編と集約化が図られたこと、そうした事態にあってそれまでの神祇官主導型の神社行政では反映される事の少なかった天皇・貴族の信仰を取り入れ新たな社格の形成が要求されたこと、等が理由の一端として挙げられる。
近年、十六社については名神祭の系譜を引くとする説や、醍醐天皇の御代昌泰~延喜年間(898~922)に祈年穀奉幣と祈雨奉幣をもとに成立したとする説などが出されている。10世紀末~11世紀初頭にかけて加列された五社についても当時行われた摂関家中心の神祇行政により加列されたとする説もある。
ちなみに、二十二社の全てが常に祈願や奉幣の対象とされた訳ではなく、臨時奉幣の場合などは事由によって何社かが選ばれる例が多かった。中世半ばまでは朝廷における最高の社格に属する神社として重視されたが、それ以降は朝廷の衰退に伴って伊勢、賀茂、石清水など特定の数社を除いては顧みられなくなった。
最終更新:2009年12月29日 12:36