東游

東游(あずまあそび)

 催馬楽よりも旧く、元は東国地方の風俗舞であったのを外来楽の隆盛とともに都に入った。古来の東国方言が見られるのが特色。『日本三代実録』によればすでに絶滅傾向にあった貞観3年(861年)3月14日に東大寺大仏供養のとき、唐楽、高麗楽、林邑楽とともに東遊がおこなわれたとある。宇多天皇の寛平元年(889年)11月に賀茂の臨時祭で東游が行われ、初めて神事舞として用いられてから諸社の祭典で奏楽されるようになった。天慶5年(942年)4月、石清水の臨幸祭がはじめられた時に東遊が奏された。また、一条天皇が神楽の散逸するのに心を痛められ保存に尽くされた時、東遊も5曲制定された。それが今につたわる一歌、二歌、駿河歌、求子歌および加太於呂之(かたおろし)(大広歌とも)の5曲であるといわれるが、天治本の古譜には延喜20年(921年)11月10日勅定のことがみえる。歌詞の伝世が少ないのは東遊が祭祀に採用されたため、元来の歌い方が失われたからだという見解もある。
 宮中では応仁の乱の頃に一時廃絶したが、江戸時代に再興されて修正が加えられた。明治維新の後は神武天皇祭、春秋の皇霊祭の日に宮内庁式楽部が皇霊殿の前で奏している。
狛朝葛(こまあさかつ)続教訓抄(ぞくきょうくんしょう)*1、顕昭の袖中抄(しょうちゅうしょう)*2に依れば起源は安閑天皇の御代に駿河国有渡の浜(宇度浜)、今の三保の松原に天女が天降って舞った姿を模したものと伝えられる。



装束と奏楽

 演奏時間に30分程を要する、かなり長編の組曲であり東国起源の風俗歌にあわせて舞う。舞人は偶数で4人あるいは6人または10人、歌方は拍子1人、和琴1人、琴持2人、東遊笛(中管)1人、篳篥1人、付歌数人で奏する。ただし、現代においては宮内庁式部職楽部を除いて東遊笛の代わりに高麗笛が用いられることがほとんどである。平安時代には、舞曲は近衛の官人が仕えるのを例として、巻纓(けんえい)に桜を冠の右側に挿し、桐竹の立木・雉子・根笹などの模様のある青摺袍(あおずりのほう)小忌衣(おみごろも)、太刀を佩いた舞人6人ないし10人で舞い、舞楽を奏するときは、右4人舞ないし6人舞である。
 舞は駿河舞と求子舞(もとめごまい)の二つに分かれ、舞人は駿河舞の一段の中頃から進み、二段から舞始め、終わって一旦退下する。つづいて求子舞の音取(ねとり)が奏される。これを別称で「加太夛呂志(かたおろし)」と言い、この間に舞人は跪いて袍の右肩を脱ぎ、また参進して求子舞を舞う。



歌詞

○狛調子(こまぢょうし):狛笛・篳篥・和琴

○阿波礼(あはれ):唱和・拍子・和琴
  「天晴(あはれ) おおおお*3

○音出(こわだし):狛笛・篳篥

○於振(おぶり)唱和・拍子・和琴

○一歌(いちうた):独唱・唱和・拍子・狛笛・篳篥・和琴
  「はれんな*4手を調(ととの)へろな*5歌調へむな 盛むの音(相模*6の嶺) おおおお」

○於振(おぶり)唱和・拍子・和琴

○二歌(にうた):独唱・唱和・拍子・狛笛・篳篥・和琴
  「え 我が夫子(せこ)が 今朝の言出(ことで)*7は 天晴 
   七絃(ななつを)の 八絃(やつを)の琴*8を 調べたる如や なほ懸山の桂の木(掻けや天のかつの()*9や おおおお」

○於振(おぶり):唱和・拍子・和琴

○駿河歌歌出(するがうたのうただし):狛笛・篳篥

○駿河歌 一段(するがうたのいちだん):独唱・唱和・拍子・狛笛・篳篥・和琴
  「や 有度濱(うどはま)(宇渡浜)に 駿河なる有度濱に 打ち寄する浪は 七種(ななぐさ)(いも) 言こそ佳し」

○駿河歌 二段(するがうたのにだん)
  「言こそ佳し*10七種の妹*11は 言こそ佳し 逢へる時 いざさは*12寝なむや 七種の妹 言こそ佳し」

※駿河歌 三段(するがうたさんだん)
  「あな安らけ*13あな安ら 安ら あな あな安らけ (ねり)()の 衣の袖を垂れてや 袖を垂れてや あな安らけ」

※駿河歌 四段(するがうたよだん)
  「千鳥ゆゑに*14濱に出て遊ぶ 千鳥ゆゑに あやもなき*15小松が(うれ)に 網な張りそや 網な張りそ」

※駿河歌 五段(するがうたごだん)
  「いはたしたえ*16笠忘れたり や いはたしたえ 殿ばら*17も (しる)くもがなや*18笠まつりおかむ*19
   笠まつりおかむ*20や 知らざらむ あぜか*21その殿ばら知らざらむ いはたなるやたべの殿は 近き隣を*22近き隣を」

○同揚拍子(どうあげびょうし):独唱・唱和・拍子・狛笛・篳篥・和琴

○加多於呂志(かたおろし):狛笛・篳篥

○阿波礼(あはれ):唱和・拍子・和琴
  「天晴」

○求子歌出(もとめごのうただし):狛笛・篳篥

○求子歌(もとめごのうた):独唱・唱和・拍子・狛笛・篳篥・和琴
  「千早振る 神の御前の 姫小松   あはれれん れれんやれれんや れれんやれん 可憐(あはれ)の姫小松」
または藤原敏行作*23の「あはれ*24ちはやぶる*25賀茂の社の 姫小松*26あはれ 姫小松 萬代(よろずよ)()とも 色は(かわ) あはれ 色は変らじ」
または大宮氷川神社の「千早ふる 氷川の宮の御手洗しや あはれれん れれんやれれんや れれんやれんあはれの御手洗しや」

○大比禮歌出(おおびれのうただし):狛笛・篳篥

○大比禮歌(おおびれのうた):独唱・唱和・拍子・狛笛・篳篥・和琴
  「大比礼や 小比礼の山は や 寄りてこそ*27山は良らなれ*28や  遠目はあれど*29



東游歌拾遺

○太刀掻歌(たちがきうた)*30
  「立ちら鳥 媒鳥(おとり)*31堤の上 青柳が(しな)はる  中に妹立たるめる (せな)立たるめる ()どやな 夫や (かく)ろにして

○春日歌(かすがうた)*32
  「神の()す 春日の原に 立つや八乙女(やおとめ)*33立つや八乙女 八乙女は我が八乙女は 神の八乙女 神の八乙女」

○倭歌(やまとうた)*34
  「おお おお おお天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 乙女の姿 (しま)*35

○柏木歌(かしはぎうた)*36
  「柏木の 森のや や いと取り() いとこそ」

○六月十五日祇園感神院走馬時東遊*37
  「神風*38の 八坂(やさか)の里*39と 今日(けふ)よりぞ 君が千歳(ちとせ)は (はか)り始むる*40



最終更新:2011年10月18日 19:21

*1 楽書。全14巻。元享2年(1322)に成立。祖父の狛近真が著した『教訓抄』に倣い雅楽の口伝を記す

*2 歌学書。20巻。文治(1185-1190)頃成立。「万葉集」以下「堀河百首」頃までの歌集や歌合における歌語約300を注釈。

*3 囃し言葉。“お”と“を”の二説ある。

*4 囃し言葉

*5 巧く演奏しろよ、との楽器方への言葉。「調へろ」は東国方言、京言葉なら「調へよ」。「な」は強意の間投助詞。

*6 相模を「さがむ」言うのも古代東国の方言

*7 お話。「琴手」との説もある。

*8 古代においては琴の弦数が不定だったようだ

*9 万葉集に「足柄のわをかけ山のかづの木の」とある。かづの木は「かぢの木」の東国語

*10 上首尾だ。または「嬉しい事を言ってくださる」の意

*11 不明

*12 さあ、それでは

*13 ああ、良い気持ちだ。

*14 千鳥の鳴き声のおもしろさに

*15 文なし、言うことが無い。または無意味。もしくはけしからん、とんでもないの意と諸説あり。

*16 地名と思われるが比定されず

*17 身分の高い方たち

*18 目立つ処にあってほしい

*19 殿ばら

*20 強調の為に繰り返し

*21 何故か、の東国方言

*22 すぐ近所なのに

*23 古今集より。冬の賀茂祭にあたり色の変わらない松を詠んだもの

*24 囃し言葉

*25 社の枕詞

*26 小さい女松

*27 近くで見てこそ

*28 素晴らしい

*29 遠くから眺めた時は素晴らしくないけれど

*30 元は東游歌ではないが、太刀を抜きかざす舞が東游舞と類似するため

*31 野生の鳥を誘き寄せるための鳥

*32 元来の東游歌ではないが、東游のあとこの歌を多く歌った

*33 神に仕え、神楽を奏する乙女達

*34 良岑宗貞の詠める歌

*35 「しまらく」は「暫く(しばらく)」の古語

*36 断片的な歌詞のみ残り、意味が取れず

*37 今様歌にも見られるが、その時々で古典の歌を詠みかえて奏することがあったと思われる。

*38 神事に所縁ある場所にかかる枕詞

*39 京都市東山のあたり。「やさか」は「弥栄」に掛けた

*40 起算する