陳子昂 ちんすごう
661-702
初唐の詩人。梓州射洪(四川省射洪県)の人。字は伯玉。家は代々土地の豪族。684(文明1)年の進士。麟台正字に任ぜられ、693年右拾遺、698年以後は郷里に帰り仕えなかった。在任中、河西(686)河北(696-697)の第1線におもむき吐蕃・契丹との戦いをつぶさに視察したこともあり軍国の要事についてしばしば具体的で有益な上奏をなした。それらは幸い文集に伝わり、7世紀末の情勢をうかがう有力な資料となっている。しかし彼の名を不朽にするものは、文学史上におけるその画期的役割である。六朝以来、形式にながれた貴族文学に意識的批判を加え、漢魏への復古を唱道するという形を通じて、作詩に新しい生命力を付与し、李白、杜甫らのすぐれた盛唐文学への先駆者となった。「感遇」38首、「薊丘覧古贈盧居士蔵用」7首など代表作として名高い。作品は『陳伯玉文集』10巻にまとめられている。『四部叢刊』に明弘治楊澄校刊本が収められているが、中華書局近刊の『陳子昂集』1冊(1960)は補遺付録を加え、さらに年譜・評論をも含んでいて最も利用に便である。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典6』(平凡社,1960年)
外部リンク
最終更新:2023年08月16日 11:25