権徳輿 けんとくよ
759-818
唐の
徳宗・
憲宗朝の政治家・宰相(在任810-813)。天水・略陽(陝西省略陽県)の人。字は載之。諡は文。
権皐の子、
権璩の父。徳輿は幼少より詩文を作ることがうまく、15才のとき『童蒙集』を作った。貞元(785-805)の初め太常博士となり、左補闕、礼部・戸部・兵部侍郎を歴任して、礼部尚書同中書門下平章事(宰相)を授けられその間、貢挙の厳正をはかり、節度使が宰相を兼ねることに反対した。検校吏部尚書をもって興元に鎮し、のち病死した。左僕射を贈られた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典』3(平凡社,1960)
外部リンク
最終更新:2025年01月16日 23:05