陸淳
?-805
中唐の官人・儒学者。字は伯沖。呉郡の人。
啖助・
趙匡に師事し、春秋の学をおさめ、『春秋啖趙集伝纂例』『春秋集伝弁疑』『春秋微旨』を著わした。
陳少游が揚州刺史となるとその幕府に招かれ、彼の推薦によって左拾遺に任じられ、太常博士に転じた。左司郎中となったが、些細なことで罪とされ、国子博士に改められ、信州刺史・台州刺史となった。台州刺史であった時の貞元二十一年(805)に日本の最澄が台州を通過し、その際に通過許可証を発給した。これが国宝の「伝教大師入唐牒」(延暦寺蔵)で、そこに陸淳の署名が残る。順宗が即位すると、宰相の
韋執誼と親しかったため、朝廷に召されて給事中・皇太子侍読となった。太子(憲宗)の名を避けて陸質に改名した。しかし講義以外の事について憲宗に発言したため、叱責を受け、間もなく卒した。門人たちは文通先生と私諡した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2023年12月25日 02:12