賈耽 かたん
730-805
中唐の藩鎮・宰相(在任793-805)・地理学者。字は敦詩。滄州南皮県の人。天宝年間(742-756)明経科に推挙され、臨清県の尉となる。汾州刺史、鴻臚卿、兼左右威遠営使を歴任、山南西道節度使となり、建中三年(782)山南東道節度使に遷った。節度使の地位は
樊沢に代わられ、東都留守となる。さらに義成節度使に遷った。貞元九年(793)、尚書右僕射同中書門下平章事(宰相)となり、魏国公に封ぜられた。順宗が即位すると検校司空・左僕射に昇進したが、
王叔文らの権勢を嫌って病と称して辞職を求めたが、許されなかった。地理を好み、『別録』六篇、『河西戎之録』四篇、『海内華夷』、『古今郡国県道四夷述』、『貞元十道録』を著し、大半が失われたが、逸文等が当時の貴重な史料となっている。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年01月05日 23:41