王叔文 おうしゅくぶん
753-806
中唐の官人。永貞の改革の主導者。囲碁を得意としたから、棋待詔となり、徳宗の時、太子(後の順宗)の侍読となって絶大な信認を得た。永貞元年(805)順宗が即位し、順宗は中風のため言語を失っていたが、順宗から
牛昭容、牛昭容から宦官の
李忠言、柿林院で李忠言から
王伾、翰林で王伾から王叔文、中書省で王叔文から宰相
韋執誼と伝達を行った。王叔文は起居郎・翰林学士の地位のまま改革を主導し、宮市の廃止、減税、税制の正常化、地方藩鎮の弱体化、宦官から禁軍を奪うなどの政策を行おうとしたが、軍権を奪われた宦官の
倶文珍の反撃にあい、結果、順宗は憲宗に譲位し、結果庇護者を失った王叔文は渝州司戸参軍に貶され、翌年死を賜った。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2023年12月23日 01:14