韋巨源 いきょげん
631-710
武周・盛唐の宰相(在任693-695、700、707、708-710)。南北朝時代から唐にかけて盛行し、十七人の宰相を排出した京兆韋氏の分流・鄖公房の出身。韋思仁の子。祖父の
韋貞伯は鄖国公・舒国公。武周の長寿二年(693)に夏官侍郎、同鳳閣鸞台平章事(宰相)となったが、証聖元年(695)
李昭徳に連座して鄜州刺史に貶された。地官尚書となり、久視元年(700)十一月に宰相に復帰するも、同年十二月に一族の
韋安石が宰相となると、一族中より複数の宰相を出すこと嫌った武后に罷免された。中宗が即位すると神龍元間(707)再度宰相に任用されるも、やはり韋安石が宰相となったため罷免されて礼部尚書となった。翌年
韋后と同族であったため四度目の宰相に任用された。韋后に追従したが、中宗が韋后に弑逆され、韋后も倒されると殺害された。唐代の料理書『食譜』の著者として知られる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年04月18日 11:27