一行 いちぎょう
683-727
盛唐の天文暦数家。密教僧。魏州昌楽(河南省南楽県)または鉅鹿(河北省鉅鹿県)の人。姓名は張遂。諡は大慧禅師。襄州都督鄭国公
張公謹の曾孫。若い時から賢明で経史を学び、暦象陰陽五行の学に精通した。道士の尹崇から楊雄の『太玄経』を借りて研究し、「大衍玄図」「義沢」を著わし尹崇を驚かした。荆州玉泉山の恒景にしたがって出家し天台を学び、禅を嵩山の普寂に、戒律を当陽山の悟真に受けた。717年玄宗に召されて光泰殿に住んだ。善無畏について密教を学び、のち『大日経疏』20巻を撰し、金剛智に灌頂を受けた。721年麟徳暦の日食がしばしばあわないので、新暦をつくる必要にせまられ、
張説の推薦で新暦の改撰を命ぜられた。天体観測のため黄道游儀をつくり、また渾天儀をつくった。草稿はできたが一行が没したので、翌年張説が『開元大衍暦』と名づけて献上した。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百九十一 列伝第一百四十一 方伎 一行
参考文献
『アジア歴史事典1』(平凡社,1959年)
外部リンク
最終更新:2024年05月04日 11:17