成及 せいきゅう
845-912
唐末・五代の武将。
銭鏐の部将。字は宏済。銭塘の人。銭鏐に従って
劉漢宏の乱を平定して功があり、その後銭鏐の軍事や密謀の多くは成及の謀より出た。光啓年間(885-888)潤州の
薛朗を征討した。乾寧元年(894)蘇州刺史となるも、
楊行密に蘇州を破られ、捕虜となった。楊行密は成及の家を見て、図書・薬剤があるのみであったから、大いに称賛し、行軍司馬に任じたが、泣きながら佩刀を引き寄せて自害しようとしたから、楊行密は手ずから止めた。翌年
魏約と捕虜交換で銭鏐のもとに戻り、保大彰義等軍節度使、開府儀同三司、検校太尉となった。『十国春秋』に伝がある。
史料
『十国春秋』巻八十四 呉越八 列伝 成及
外部リンク
最終更新:2024年05月23日 20:07