張璠 ちょうばん
?-838
中唐の武将・藩鎮。大和三年(829)太原兵馬使の
傅毅が義武軍節度使となったが、義武軍は受けず、都知兵馬使の張璠が自ら節度使を称し、その後朝廷も追認して義武軍節度使とした。開成三年(838)卒すると易州刺史の李仲遷を定州刺史としたが、易定の軍乱のため李仲遷は入れられず、張璠の子の張元益が留後となった。
本紀・史料
『新唐書』
巻八 本紀第八 文宗 大和三年三月乙巳条、開成三年十月乙酉条
『旧唐書』巻十七下 本紀第十七下 文宗下 開成三年九月辛未条、十月乙酉朔条
最終更新:2025年01月19日 00:27