文成公主
625頃-680
チベット(吐蕃)王に嫁した唐の皇女。唐宗室の娘。チベット族に初めて政治的統一をもたらしたソンツェン・ガンポ (棄宗弄讃)は、638年唐に公主の降嫁を請い、いったん拒絶されて戦いを生じたが、両国の内部事情から和議がなり、640年冬吐蕃の使者ガルトンツェンmgar-ston-btoan(禄東賛)は、黄金5千両などを献じて婚を請い、翌春、文成公主が江夏王
李道宗に送られて河源(吐谷渾の根拠地)におもむいた。王は公主を迎えてとくに屋敷を新築してこれに住まわせ、外征時をのぞいて両者相和して暮らしたと伝えられる。公主の降嫁は、中国文物の輸入に大きな契機となり、現在にいたるまでチベットの文化的功労者としてとくに尊崇をうけ、ドルマ・ゲング sg-rol-ma ljan-gu としてラマ教の尊像となっているほどである。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典8』(平凡社,1961年)
外部リンク
最終更新:2024年09月19日 23:39