江夏王李道宗 りどうそう
603-656
初唐の宗室・武将。字は承範。
李韶の子。
李道興・
李道立の兄。父李韶は
高祖の従兄弟にあたり、李道宗は
太宗の又従兄弟にあたる。高祖が即位すると左千牛備身・略陽郡公となり、秦王時代の太宗に従って軍功をあげた。霊州総管となると、
梁洛仁が突厥の兵数万を率いていたのを急襲して撃破し、任城王に封ぜられた。太宗が即位すると鴻臚卿・大理卿となり、さらに再度霊州都督となった。貞観三年(629)大同道行軍総管となり、
李靖を助けて突厥を打ち破り、頡利可汗を捕虜とした。吐谷渾との戦いでも李靖の配下として行動し、急襲を主張して実行、敵を打ち破った。江夏郡王に移封され、鄂州刺史を授けられた。収賄の罪により罷免されて自邸に帰ったが、しばらくして復帰し茂州都督、晋州刺史、礼部尚書となった。貞観十五年(641)吐蕃に
文成公主を嫁がせることとなり、護送した。貞観19年(645)太宗が高句麗征伐を行うとそれに参加し、安市城攻略を行ったが、李道宗が担当した部所が原因で攻城が失敗することになり、太宗に罪を請うたが許され、帰還すると職を辞して閑職となった。
長孫无忌・
褚遂良に陥れられて
房遺愛の変に連座し、象州に流される途上病死した。子に李景恒がおり、
文成公主は娘ともいわれる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 江夏王道宗
『旧唐書』巻六十 列伝第十 宗室 太祖諸子 代祖諸子 江夏王道宗
外部リンク
最終更新:2024年09月19日 23:57