李質 りしつ
?-823
中唐の武将。義成軍節度使の牙将。長慶二年(822)七月、義成軍節度使の李臣則が叛乱をおこし、都押牙の
李㝏を留後に推すと、その腹心となった。朝廷は李㝏の入朝を求め、李質も勧めたが従わなかった。李㝏が重病になると、監軍の姚文寿とともに李㝏を斬って首を長安に送った。韓充が汴州に赴任することになると、権知軍州事となり、
韓充が節度使として赴任してくることになると、赴任前に今まで将兵二千人に与えていた日膳を停止して、後世の節度使の困難の憂いを除去させた。長安に召し出されて金吾将軍に任じられた。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百五十六 列伝第一百六 韓弘 李質
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最終更新:2024年09月24日 00:39