綦公順 きこうじゅん
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隋末の群雄。隋末の動乱の中、青州・莱州にて自立した。北海郡城を三万で攻撃し、外城を陥落させたが、残りが子城のみとなったとき、備えを解いたところを劉蘭成に急襲されて大敗した。しかし城内の内紛により劉蘭成が綦公順のもとに亡命してきたため、劉蘭成を長吏に任じて再度攻撃し、今度は劉蘭成の説得によって北海を降伏させた。
臧君相を破って勢力をさらに拡大したが、
李密が強大化するとこれに帰順。李密が敗れると、武徳二年(619)唐に帰順した。淮州総管に任じられた。
本紀
『新唐書』
巻一 本紀第一 高祖 即位前紀、武徳二年四月庚辰条
『資治通鑑』巻第一百八十六 唐紀二 高祖上之中 武徳元年十月
『資治通鑑』巻第一百八十七 唐紀三 高祖上之下 武徳二年四月
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最終更新:2024年10月23日 15:06