成三朗 せいさんろう
?-684
初唐の官人。成三郎とも。幽州漁陽県の人。光宅年間、左豹韜衛長上果毅となる。
李孝逸が
徐敬業を討伐すると、先鋒となり、高郵で戦闘したが、官軍は敗れ、捕虜となって江都に送られた。敵の
唐之奇が奇計によって軍を欺いて、「こいつが李孝逸だ」と言って斬ろうとしたが、成三朗は大声で叫んで「私は果毅の成三朗だ。将軍李孝逸ではない。官軍はすでにお前達を幾重にも取り囲んでいる。お前たちが破られるのはもうすぐだ。私が死んでも、妻子は栄を受けるが、お前たちが死んでも家族は奴隷となり、私には及ばないだろう」と言ったから、唐之奇は怒り、斬られた。徐敬業が平定されると、左監門将軍を追贈され、諡を勇とした。『旧唐書』に伝がある。
列伝
『旧唐書』巻一百八十七上 列伝第一百三十七上 忠義上 成三郎
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最終更新:2024年11月17日 00:31