姜恪 きょうかく
?-673
初唐の武将・宰相(在任665-672)。
姜宝誼の子。蜀漢の姜維の末裔だという。司戎太常伯、永安郡公。麟徳二年(665)同東西台三品(宰相)となり、総章元年(668)検校左相となった。戦功により宰相となったため、世間では「左相は砂漠で威名を振るい、右相(
閻立本)は絵画で名をはせた」と嘲られたという。咸亨元年(670)九月、涼州道行軍大総管となって吐蕃を討伐にあたった。咸亨二年(671)侍中となる。咸亨三年(672)二月、河西の鎮所で薨じた。
本紀・表・列伝
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最終更新:2024年11月25日 11:17