淳于処平

淳于処平 じゅんうしょへい

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初唐の武将。左玉鈐衛中郎将。垂拱元年(685)二月、陽曲道行軍総管となって侵入してきた突厥を迎撃したが、四月に総材山の突厥を攻撃しようとして忻州で遭遇戦となり、戦死者五千を出す大敗を喫した。

本紀・列伝

『新唐書』巻四 本紀第四 睿宗 垂拱元年二月乙巳条
『新唐書』巻二百一十五上 列伝第一百四十上 突厥上

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最終更新:2024年12月03日 00:29
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