張玄遇

張玄遇 ちょうげんぐう

?-696頃
武周の武将。如意元年(692)吐蕃の大首領の曷蘇が貴川部と党項の種族三十万をひきつれて投降すると、張玄遇を安撫使とし、兵二万をひきいてこれを迎させ、大度水に屯した。他の首領の昝插がまた羌蛮八千をつれてみずからやって来て降服すると、張玄遇はその部を葉州を置き、昝插を刺史にした。石碑を大度山に建て、その戦功をきざみこんだ。万歳通天元年(696)鷹揚将軍曹仁師・右武威大将軍李多祚・司農少卿麻仁節らとともに契丹を討伐したが、西破石・黄谷で大敗し、捕虜となった。

本紀・列伝

『新唐書』巻四 本紀第四 則天順聖皇后 万歳通天元年五月壬子条、同年八月丁酉条
『新唐書』巻二百一十六上 列伝第一百四十一上 吐蕃上
『新唐書』巻二百一十九 列伝第一百四十四 北狄 契丹

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最終更新:2024年12月06日 23:23
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