燕国襄穆公主

咸安公主

?-808
唐の和蕃公主。徳宗の第8女。徳宗の時代には回鶻(ウイグル)の唐にたいする圧迫がはなはだしく、武義成功可汗(頓莫賀可汗、または長寿天親可汗)はしきりに公主の降嫁を要求した。徳宗は762年に回鶻人からうけた侮辱を恨んで、これを聞かないのを、宰相李泌の説得によって788年にこの公主を嫁せしめ、智恵端正長寿孝順可敦の称号を与えた。可汗は翌年に死んだが、公主は21年間回鶻にとどまり、さらに忠貞、奉誠、懐信の3可汗をへて、808年にその死去が唐に伝えられ、のちに燕国襄穆公主に追封せられた。『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十三 列伝第八 諸帝公主 徳宗十一女 燕国襄穆公主

参考文献

『アジア歴史事典』2(平凡社,1959)

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 咸安公主(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-hk/%E5%92%B8%E5%AE%89%E5%85%AC%E4%B8%BB

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最終更新:2023年07月30日 23:51
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