燕重旰 えんじゅうかん
?-815
中唐の武将。左龍武将軍。元和九年(814)六月、豊州刺史、天徳軍豊州西城中城都防禦押蕃落等使に任じられた。この前年、黄河が西受降城を破壊したため、宰相の
李吉甫が天徳軍を移転を指示したが、
盧坦と城使の周懐義は反対の建言を行ったため、李吉甫は盧坦を東川節度使として京師から追い出し、周懐義もまた憤死した。その後任として燕重旰が充てられたが、燕重旰は移転を強行して軍の恨みを買い、元和十年(815)二月、牙将の劉輔らに殺害されて、その家族も皆殺しとなった。
本紀・列伝・史料
最終更新:2025年01月16日 00:55