李克恭 りこくきょう
?-890
唐末の武将。沙陀人。
李克用の従兄弟。李徳成の子。
李克修の弟。決勝軍使となり、昭義軍節度使であった兄の李克修が卒すると、昭義節度使となった。兄の統治は簡便で潞州の人の信頼を得たが、李克恭は気ままかってで、人身は離れていった。兵士五百人を選抜して、李克用に献じたが、その将の馮霸が叛乱を起こし、李元審が討伐にあたったが、沁水で大敗して負傷し、潞州に逃げ帰った。牙將の
安居受もまた叛乱を起こし、李克恭・李元審を殺害した。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻五十 唐書二十六 宗室列伝第二 克恭
『新五代史』巻十四 唐太祖家人伝第二 克恭
外部リンク
最終更新:2025年01月26日 21:30