相国寺
河南省開封市に位置する寺院。はじめ建国寺と称し、北斉の天保六年(555)の創建という。その後荒廃したが、
睿宗の景雲二年(712)慧雲が福慧寺に寺の北辺に弥勒像を安置しようとして地を掘ると、碑を発掘して建国寺の故趾であることを知って、福慧寺を改めて建国寺と称した。勅して建国寺を相国寺と改めた。寺勢次第に隆盛となったが、大順二年(891)火災のため全山灰燼と帰した。開封が北宋の首都となると、相国寺は官民の尊崇を集め、寺内では定期的に市が開かれた。明の成化二十年(1484)崇法寺と寺号を改めた。崇禎十五年(1642)黄河氾濫のため埋没したが、清の順治十六年(1659)巡撫賈復によって重修され、相国寺の寺号に復した。
参考文献
『望月仏教大辞典3』(世界聖典刊行協会,1957年)
最終更新:2025年02月04日 10:18