李旦
662-716
唐第5代・8代の皇帝(在位684-690、710-712)。姓名は李旦(初名旭輪、669年輪、678年旦と改める)。廟号は睿宗。諡は初め大聖真皇帝、749(天宝8)年玄真大聖皇帝、754年玄真大聖大興孝皇帝とした。
高宗の第8子、母は
武則天、
中宗の弟。殷王から予王、冀王、相王に封ぜられ、684(嗣聖元)年中宗の廃位によって即位したが、ときに武則天が政権を握り、690年唐にかわって国号を周に改め、帝を廃して皇嗣とした。のち復位した中宗をその皇后
韋皇后が毒殺し、温王重茂(
殤帝、中宗の第4子)を立てて政治を思いどおりにしようとしたので、臨淄王隆基(
玄宗)が韋皇后を殺して父の睿宗を即位させた(710)。睿宗は在位3年で隆基に讓位、716(開元4)年死んだ。
橋陵(陜西省蒲城県東北豊山)に葬られた。
昭成竇皇后が玄宗および
金仙公主・
玉真公主を、
粛明劉皇后が寧王
李憲および
寿昌公主・
代国公主を、宮人柳氏が恵荘太子
李撝を、崔孺人が恵文太子
李範を、王徳妃が恵宣太子
李業を生み、なお後宮があり、隋王
李隆悌を生んだ。
年号
文明 684
光宅 684
垂拱 685-688
永昌 689
載初 689-690
景雲 710-712
太極 712
延和 712
后妃
子女
宰相
本紀
参考文献
『アジア歴史事典1』(平凡社,1959年)
外部リンク
最終更新:2025年05月24日 10:11