天津橋

天津橋

洛陽の洛水に架かる橋。洛陽のメインストリートである定鼎門街上にあって、洛陽の北城と南城を連絡する最も重要かつ往来の覆い橋梁であった。隋の大業元年(605)に洛陽新城が創築された時には浮橋として洛水に架橋された。しかし、洛水が増水するごとに流失したために、唐の貞観十四年(640)に橋脚を石にした石橋に架け替えられた。架橋地点は、大きな中州が平行して二つ存在し、北から黄道橋・天津橋・星津橋の三橋からなっている。その後、南側の中洲と南岸とが接続して陸地化したため、開元二十年(732)に天津橋と星津橋は一橋とされた。西京長安から東都洛陽に主として公務でやってくる官人旅行者は、定鼎門(時には厚載門)から城内に入り、定鼎門街を北上して天津橋を北に渡り、北城の清化坊、あるいは景行坊の都亭駅で旅装をとくのが常であった。

参考文献

徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)

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最終更新:2025年02月14日 12:53
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