韋宙 いちゅう
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晩唐の官人・藩鎮。字は伯起。
韋丹の子、
韋岫の兄。京兆韋氏鄖公房の出身。父の蔭位によって推薦されて河南府司録参軍に任じられ、侍御史、度支郎中、太原節度副使、吏部郎中、永州刺史、大理少卿を歴任。江西観察使となり、さらに嶺南節度使となったが、咸通三年(862)南詔の安南侵攻に際して、援軍を送らずに見捨てたため、安南陥落の要因となった。検校尚書左僕射・同中書門下平章事を兼任した。咸通年間(860-874)卒。著作に『韋氏集験独行方』十二巻がある。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年05月16日 02:39