楊再思 ようさいし
634-709
武周・盛唐の宰相(在任694-699、704-709)。楊行表の子。
楊季昭の弟。本名は楊綝。字は再思で、字によって世間に通行した。鄭州原武県(河南原陽県)の人。明経化に及第し、玄武県の尉、天官員外郎、左粛政御史中丞に任じられた。延載元年(694)八月、鸞台侍郎・同鳳閣鸞台章事(宰相)に抜擢された。聖暦二年(699)宰相を罷免されて左粛政御史大夫となり、鄭県侯に封ぜられた。長安四年(704)七月、守内史(宰相)となり、翌年二月
中宗が即位すると戸部尚書・同中書門下三品(宰相)・京師留守を拝命し、弘農郡公に封ぜられ、その翌年四月には検校揚州大都督となり、六月に検校中書令の職を加えられた。十月に行侍中に改められ、鄭国公に改封された。景龍元年(707)九月、中書令となり、景龍三年(709)、尚書右僕射、同中書門下三品となった。同年六月、在官中に卒し、
乾陵に陪葬された。
武則天やその周囲の権勢者に阿諛追従し、権勢者を喜ばせるためなら自身を貶めることも辞さなかったから、当時から非常に評判の悪い宰相であった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
最終更新:2025年06月23日 00:38